飛騨山脈
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この間、東西は黒部川高瀬川梓川によって、西側から剱岳から五色ヶ原にかけての立山連峰白馬岳から乗鞍岳にかけての後立山連峰?裏銀座?槍・穂高連峰、最も東に位置する常念山脈(常念山地)に分割される[2]

飛?山脈(北アルプス)には400を超える多年性雪渓が確認されているが、冬季には20mの積雪、夏季には1日10cmもの融雪があり、流動測定が大変困難であることから日本には氷河は存在しないといわれていた[3]。しかし、2012年4月、立山・剱岳の3つの多年性雪渓が氷河と認められ、その後もいくつかの多年性雪渓が氷河として認められている[3]

一帯は中部山岳国立公園に指定されており、登山者やスキーヤーなどの観光客も多く訪れる[2]。明治維新以降、日本国内では学術・測量目的の登山が本格的に始まり、飛?山脈(北アルプス)では1883年(明治16年)に北安曇郡長の窪田畔夫と仁科学校長の渡邊敏らが白馬岳に登頂している[4]。大正初期には信濃鉄道の開通・延伸に伴い、夏山登山者が急増し、いわゆる大正登山ブームが起きた[4]。また、明治末期から大正時代にかけて主要な山岳や要所に山小屋(営業小屋)の建設が進み、学術登山だけでなく学校集団登山も普及し実践されるようになった[4][5][6][7][学 1][学 2][学 3][学 4][学 5][学 6][8]。昭和になり日中戦争・太平洋戦争期には登山者の姿は少なくなり、旅館の廃業や山小屋の荒廃などもあったが、終戦により登山者が戻りだし山小屋の再整備などが行われた[4]
地質学的見地

木曽山脈赤石山脈断層運動で形成された山脈であるのに対し、飛?山脈は火山活動と断層運動の複合的な要因によって形成された山脈で、約270万年前から隆起を開始した。その過程は大きく二段階に分割でき、約270万年前?約150万年前の大規模珪長質マグマ形成期と、東西圧縮により急激に隆起し3000m級の山脈が形成された130万年前?現在である[9]

鮮新世における現在の飛?山脈は日本海に突き出た本州半島で、標高はそれほど高くなかった。この半島はジュラ紀付加体花崗岩などから構成される。

第一段階の270万年前?150万年前にかけて、当時伸長?中間応力場であった現在の飛?山脈付近の地下に大規模な珪長質マグマ溜まりが形成された[10]。このマグマ溜まりの浮力によりアイソスタティックに隆起し、標高1000m程度の高地を形成した。また、この火成活動に関連してカルデラ形成を伴う火砕流堆積物及び広域テフラが形成されており、総量にして約1300 km3 DREのマグマが火山噴火として噴出した。代表的なイベントとして約225万年前の谷口火砕流、約175万年前の丹生川火砕流,恵比寿峠火砕流、約165万年前の大峰火砕流などがある[11]

第一段階終了後、地殻変動の穏やかな期間を挟んで、約130万年前から第二段階の急激な隆起が開始した[9]。この隆起は、マグマの熱によって地殻が脆性になったところに東西の水平圧縮応力が加わり、そこを力学的弱点として座屈変形した結果されている。水平圧縮応力の起源は日本海東縁変動帯(300万年前?)や、伊豆地塊の本州への衝突(約100万年前?)に関連する可能性がある[10]。この第二段階では100万年前ごろをピークに急激な隆起が生じ、3000m級の山々が形成された[12]。この第二段階の急激な隆起により、地下で固結した珪長質マグマの一部である約120万年前の滝谷花崗閃緑岩、約80万年前の黒部川花崗岩などが地表に露出している。これらの花崗岩の年代は世界で最も新しい[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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