明治時代には、国家的な重要産業であった製糸業を担う労働力として、飛騨地方の村落から、山道を通って諏訪湖周辺に多くの女性が流出した(『あゝ野麦峠』)。
平成時代には平成の大合併が行われて自治体が再編され3市1村まで統合が進んだ。現在の高山市と下呂市の大部分、飛騨市、白川村は、かつての三木氏・江馬氏・内ヶ島氏の支配領域とそれぞれがほぼ一致している。 明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。太字の自治体及び郡は全域が、通常体は一部が国土にあたる。 国府は『和名抄』によると大野郡にあった。『拾芥抄』では、「大原(大野郡のこと)、府」とある。これは平成の大合併以前の旧高山市域にあったと考えられている。また、奈良時代前期以前は現在の高山市国府町にあったとされる説もあるが(国府盆地から高山盆地への国府移転説)、双方ともに国衙の遺跡はいまだ発見されていない。 飛騨国の藩の一覧藩名居城藩主
近代以降の沿革
「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点では国内の全域が幕府領であり、高山陣屋の飛騨郡代が管轄。(414村・5万7,182石余)
益田郡(100村・1万514石余)、大野郡(136村・2万2,264石余)、吉城郡(178村・2万4,403石余)
慶応4年
5月23日(1868年7月12日) - 全域が飛騨県の管轄となる。
6月2日(1868年7月21日) - 飛騨県が高山県に改称。
明治4年11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、筑摩県の管轄となる。
明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により、岐阜県の管轄となる。
領域
岐阜県
高山市
飛騨市
下呂市(金山町弓掛・金山町卯野原・金山町岩瀬・金山町東沓部・金山町金山・金山町田島より南西の地域を除く)
大野郡
国内の施設
国府
国分寺・国分尼寺
飛騨国分寺
神社
延喜式内社
『延喜式神名帳』には、以下に示す小社8座8社が記載されている。大社はない。飛騨国の式内社一覧を参照。
大野郡 水無神社 (現 飛騨一宮水無神社、高山市一之宮町)
大野郡 槻本神社 (高山市丹生川町山口)
大野郡 荏名神社 - 荏名神社(高山市江名子町)または荒神社(高山市江名子町)に比定。
荒城郡 大津神社 - 大津神社 (飛騨市神岡町大字船津)または天満神社(高山市国府町村山)に比定。
荒城郡 荒城神社 (高山市国府町宮地)
荒城郡 高田神社 - 貴船神社(飛騨市古川町貴船町)または高田神社(飛騨市古川町太江神垣内)に比定。
荒城郡 阿多由太神社 - 阿多由太神社(高山市国府町木曽垣内)または中宮神社(飛騨市古川町 大歳神社
荒城郡 栗原神社 (高山市上宝町宮原)
総社・一宮
総社 - 飛騨総社
一宮 - 飛騨一宮水無神社
地域
郡
大野郡
益田郡
吉城郡 - 古代は「荒城郡」。
江戸時代の藩
飛騨高山藩高山城
金森家:5万3,000石→3万3,000石(2万石は上有知藩に分地)、1600年 - 1692年(出羽上山藩3万8,700石に移封)
公儀御料:1692年 - 1871年(廃藩置県)
人物
国造
斐陀国造
国司
姉小路高基:従三位参議。南北朝時代建武2年(1335年)に国司に任じられ下向