飛行船
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この節の加筆が望まれています。

エンベロープを膜材でなく薄いジュラルミンの板で構成した飛行船は、全金属飛行船(以下、全金属船)またはメタルクラッド飛行船と呼ばれる[15]。アメリカ海軍が運用したZMC-2が全金属船である[11]

ZMC-2は1929年に初飛行し、1941年に運用を終了し解体された[16]
準硬式飛行船

20世紀末に開発・初飛行したツェッペリンNTは、膜製のエンベロープを持ち、その内部に骨格を備える[17]。骨格はキールではなく、三角形のフレームと縦通材で構成される[18]。当初は準硬式の用語が無くツェッペリンNTを半硬式船と分類していたが、ツェッペリンNTの構造は従来の半硬式船とは異なることから、準硬式飛行船と呼ばれている[18][9][11][注 2]
歴史伊土戦争にてリビアを爆撃するイタリア王国陸軍航空隊(世界初の航空爆撃)「航空に関する年表」も参照

1852年9月23日 - フランスアンリ・ジファールによって蒸気機関をつけた飛行船の試験飛行が成功。出力3馬力、時速8キロメートル。

1884年シャルル・ルナールとA・C・クレプスによる初の電動飛行。塩化クロム電池と9馬力電動モーターを使い、7.5キロメートルを23分間で飛んだ。

1897年にはユダヤ系オーストリア人ダーフィット・シュヴァルツによって、硬式飛行船が試作された。ツェッペリンはシュヴァルツの家族から特許を購入する。
ツェッペリンの飛行船 (1900)

1891年ドイツでは、フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵が退役後に独力で硬式飛行船の開発に乗り出し、1900年には飛行に成功。1909年にはドイツ海軍に飛行船を納入し、1911年にはドイツ国内民間航路(ヴィルヘルムスハーフェン - ベルリン)を開設した。ツェッペリン伯爵の成功によりツェッペリンは飛行船の代名詞となった。

1901年フランスで硬式飛行船ルボーディT号が完成。初の操縦可能な飛行船として成功を収めて軍から高く実用性を買われ、実質的な飛行船実用化の確立に至った。

1911年9月20日に、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が東京上空一周飛行に成功した。

第一次世界大戦においては、ドイツ軍により軍用飛行船が用いられ、ロンドン空襲などを行った。

第一次世界大戦後、ツェッペリン伯爵の跡を継いだエッケナーは、ツェッペリン飛行船を使った長距離・国際的な民間航路の開設に乗り出した。

1924年に大陸縦断航路(ストックホルム - ベルリン - ローマ - カイロ - ケープタウン)を開設。

1925年に太平洋横断航路(上海 - 霞ヶ浦 - サンフランシスコ)開設


1926年にノルウェーの探検家アムンセンがイタリア製の飛行船ノルゲ号で北極を横断。

1929年にはツェッペリン伯爵号が世界一周飛行を行い、当時の飛行機の限界をはるかに超える長距離・長時間の飛行性能を見せ付けた。ドイツは第一次世界大戦の敗戦国ではあったが、飛行船の製造および運用技術ではアメリカやイギリスなどを引き離していた。

1930年10月5日早朝、イギリスの飛行船R101がフランス北部のボーヴェにて墜落。乗員乗客48名が死亡(生存者6名)した。以後、イギリスは飛行船計画を全面的に破棄した。

1933年 アメリカ合衆国ニューイングランド沖合にて、アメリカ海軍の硬式飛行船アクロン号が墜落。乗員73名が死亡(生存者3名)する、飛行船史上最悪の死亡事故となった。

1937年に大西洋横断航路に就航していたドイツのヒンデンブルク号が、アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト空港に着陸する際に、原因不明の出火事故を起こし爆発炎上。この事故の後、航空機固定翼機)の発達もあり、民生用飛行船は使われなくなっていった(→ヒンデンブルク号爆発事故)。

第二次世界大戦中のアメリカ海軍は偵察・対潜哨戒用のK級軟式飛行船の運用を活発化、終戦時には160機以上の飛行船を運用していた。

アメリカ海軍は第二次世界大戦後も飛行船部隊を維持した。冷戦時代、飛行船の滞空能力を活かし、レーダーを搭載することで北極海方面からの戦略爆撃機に対する警戒網の一助とした。だがこうした早期警戒飛行船は1960年代中頃には早期警戒機の登場や地上レーダー網の構築により退役した。民生用に払い下げられた飛行船の多くは広告用途などに広く用いられた。

ヒンデンブルク号爆発事故ヒンデンブルク号爆発の瞬間詳細は「ヒンデンブルク号爆発事故」を参照

当時、ヘリウムはアメリカでしか生産されておらず、アメリカがナチス・ドイツへのヘリウムの供給を拒否したため、爆発の危険を冒しながらも水素ガスを利用していた。そのため、この事故は水素ガスによるものと推測され[注 3]、水素ガスを使用する飛行船の安全性に対する信用は失墜し、以後水素による飛行船が使われなくなる原因となった。
天然ガス運搬用飛行船

1970年代に天然ガスを運搬するためにAerospace Developments (AD) によってハニカムサンドイッチによるセミモノコック構造の半硬式飛行船の計画が立案された[19]。この飛行船の計画は浮揚ガスとして空気よりも軽量の天然ガスと共に、少量のヘリウムを使用し、天然ガスを燃料とするエンジンからの廃熱で浮揚ガスを暖めて浮力を増やすという構想だった。第二次世界大戦前に建造された現時点において史上最大のLZ 129ヒンデンブルク号の全長は245mで浮揚ガスの体積は200000m3だったが、この構想された天然ガス運搬用飛行船は全長549mで浮揚ガスの体積は2750000m3という途轍もなく巨大な飛行船だった。天然ガスを運搬後はヘリウムガスで浮揚してガス田へ戻るという仕様だった[20][21]

この方法は政情不安定な国に天然ガスの液化施設を建設する地政学的なリスクを抑える点で有効であると考えられた。半硬式飛行船ではなく軟式飛行船を使用して天然ガスを運搬するという類似の概念は既に1920年代にR100飛行船の設計に携わったバーンズ・ウォリスによって考案されていたが大型の軟式飛行船という設計が災いして頓挫した。


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