飛び級
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2006年度までの累計で入学実績があるのは以上3校のみで人数は千葉大41人、名城大20人、会津大1人の計62人となっている[2]

2005年度より成城大学昭和女子大学エリザベト音楽大学(設立:1948年、旧名称:広島音楽学校)が飛び入学制度による学生の受け入れを開始した。エリザベト音楽大学および成城大学では2007年度に最初の入学者があったが、昭和女子大学では現在までの入学者はない。

成城大学は文芸学部英文学科に対し、高校2年次修了予定者の飛び入学を募集。年齢上限はない。

昭和女子大学は人間社会学部福祉環境学科および生活科学部生活科学科に対し、高校2年次修了予定者の飛び入学を募集。年齢上限はない。4年制高校であっても、2年次修了予定であれば応募資格がある。4年制高校から飛び入学した場合、2年短縮したことになる。

エリザベト音楽大学は音楽学部音楽文化学科および音楽学部演奏学科で「アーティスト21特別入学試験(高校2年修了飛び入学試験)」の名称で飛び入学を募集している。これは実技能力の優れた高校2年修了生に対する奨学金付の特別選抜入学試験で、試験結果によって学費が免除(入学金を除く)される。

大学飛び入学は1997年平成9年)に法改正により数学及び物理分野に限り解禁され、1998年(平成10年)に千葉大学が開始。2001年度(平成13年度)より全分野で解禁された。大学院のある大学のみ飛び入学を行なえる。

昭和女子大学では、附属高校の3年生のうち一部が大学で学ぶことができる。しかし学籍は高校にあり、大学では5年間学ぶことになるので、高大連携の一環とされ、飛び級にならない。現在は高校3年生の約半数がこの制度を利用しているようである(上記の飛び入学とは別制度)。

慶應義塾大学は、通信教育課程において10月入学者に限り約6ヶ月の飛び入学が可能である。高等学校卒業認定試験(8月)に合格後出願し(10月入学は9月10日出願締切)、入学が許可されれば事実上の飛び入学となる。

大学飛び入学(高認など)

高等学校卒業程度認定試験大学入学資格検定)や国際バカロレア資格などの資格の取得者が、高校卒業という学歴がないまま大学に入学することができる。ただし、高等学校卒業程度認定試験については18歳以上との年齢制限がある。[3]
大学早期卒業・大学院飛び入学

1977年3月、国立大学協会第二常置委員会で、卒業所要単位数を取得済みで優秀な学生には3年次終了で大学院入学試験資格を与えることが了承された[4]

一部の大学では、特に優秀な学生を対象に3年次卒業制度を設けている。また、一部の大学院では学部3年次修了で入学できる制度がある。この場合、大学の3年次卒業制度を併用すれば大学卒業とみなされるが制度がない場合などは中途退学の扱いになる。若年者のみならず、定年退職後に入学した人の飛び級もあるといわれる。大学院においては、修士課程・博士課程とも早期修了が可能である。
年齢主義による飛び級

帰国生徒の場合には日本での年齢主義の「年齢相当学年」と本人の学習段階が合わないことがある。そのため日本の大部分の小中学校は年齢主義を基準としているため、学習段階よりも上の学年に所属させられること[注 2] があり、語学・学業・環境・情緒の面で児童に負担を強いるものとして問題になる場合がある。これは、英才教育としての飛び級とは性格が異なる望まない飛び級といわれる[5]

原則的には各種通達により年齢主義による飛び級も修得主義による飛び級と同様に不可能だとされてはいるが、実態として上記のようなことも起こっている。また、自治体(各教育委員会)によって姿勢が異なるため、日本国内での転校でも転出先の年齢主義が強いと、転出に伴って飛び級や、小学校から中学校への飛び入学をさせられたり、学齢超過につき転校ができなかったりすることもある。
日本における歴史
第二次世界大戦以前

1947年(昭和22年)の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の占領政策の一環として行われた学制改革以前は、ある程度制度的にも飛び級が可能であった。本来は5年制の旧制中学校から4年修了で旧制高等学校、3年制の大学予科に入学できる仕組(いわゆる四修)及び6年制の尋常小学校5年修了で旧制中学校に入学出来る仕組(いわゆる五修)があった。また尋常科を併設した7年制の旧制高等学校は、自動的に飛び級を約束する存在だったといえる。

四修者は学力面で優越していたにもかかわらず、当時の旧制高校生の教養主義的価値観の中では体格や人格や読書量の面で侮りを受ける場合が多々あった。「何年も浪人を繰り返し、あるいは社会人生活を経て旧制高校に入学した学生ほど尊敬された」ということを旧制浦和高等学校出身の金田一春彦は自伝の中で記している。

1899年:中学校令(明治32年勅令第28号)

第十条 中学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校予科ヲ修了シタル者、国民学校初等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等ノ学力アリト認メラレタル者タルヘシ

上記の通り、中学4年修了での旧制高校入学のように勅令には明示されていない。



1899年:高等女学校令(明治32年勅令第31号)

第十条 高等女学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ国民学校初等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者タルヘシ

2 修業年限三箇年ノ高等女学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ国民学校高等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者タルヘシ



1918年:高等学校令(大正7年勅令第389号)

第十一条 高等学校尋常科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校予科ヲ修了シタル者、尋常小学校ヲ卒業シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス

第十二条 高等学校高等科ニ入学スルコトヲ得ル者ハ当該学校尋常科ヲ修了シタル者、中学校第四学年ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス



1943年:中等学校令(昭和18年勅令第36号)

第八条 中等学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ修業年限四年ノ課程ニ在リテハ国民学校初等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トシ修業年限二年又ハ三年ノ課程ニ在リテハ国民学校高等科ヲ修了シタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタル者トス

尋常小学校5年からの飛び級は、1931年1月10日の「昭和6.1.10文部省令2中学校令施行規則39条2項但し書き」で可能。
飛び級に関する議論

2019年(令和元年)5月現在の日本においては、幼少時の飛び級はほぼ選択されず、修博一貫教育、法曹コース(法学士+法務博士一貫)、学部修士一貫教育で年度の短縮が行われており、大学学部入学後において事実上飛び級が解禁されている。東京芸術大学を皮切りに、学部入学の一年飛ばしを行う国公立大学は増加する見込みで、常識になる可能性が高い。すでに東京大学は、大学院在籍年数の短縮がすでに認められている。

ただし、現在の所属可能最高学年を大幅に超える形での飛び級制度の導入に関しては、格差拡大などさまざまな観点から用心深く導入すべきだとの考えも根強く、2020年代の日本では行われていない。
外国

国によっても異なるが、飛び級制度がある場合が多い。

アメリカ合衆国では、学校内の飛び級、学校間の飛び入学、早期就学ともに盛んである。飛び級が適当かどうかの判断には「アイオワ早修尺度」が使われ、各方面から総合的に判断される。飛び級によって兄姉と同じ学年になる場合や、同学年の兄弟姉妹がいる場合などは考慮を要するとされている。
フィクション

フィクションにおいても飛び級の生徒が登場することがあるが、必ずしも舞台となっている国の教育制度と整合が取れている場合ばかりではない。以下は15歳未満で高校に入学した人物の例であるが、いずれも現行の日本の法制度では不可能である。

同級生は13歳テレビドラマ) - 主人公の日向夏子(演:後藤久美子)は、13歳で高校に転入学したという設定になっている[注 3]

あずまんが大王(著:あずまきよひこ) - 主人公の美浜ちよは、飛び級により10歳で小学校から高校に入学したという設定になっている[注 4]

また、入学した学校が格別高度な教育をしているように描かれていない場合もある。
著名な飛び級経験者
セオドア・カジンスキー
米国の数学者。16歳でハーバード大学進学。ミシガン大学で修士と博士号取得。カリフォルニア大学バークレー校数学助教授、数学博士。「ユナボマー」と呼ばれる連続爆破事件を起こし、終身刑となり、2023年6月10日81歳で死去[6]
シャーリー・テンプル


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