日本での風疹ワクチンの接種は当初、女性のみが対象とされていた。1994年より男性もその対象となったものの、接種率の低い成人男性を中心に風疹の流行が繰り返されている。男性が対象に含まれた際には併せて対象年齢が満1歳以上7歳半未満に変更されたのだが、中学生に対する接種は経過措置として継続された。しかしこのとき、それまでの集団接種から個別接種へと変更されたこと、またMMRワクチン接種による重度健康被害の多発により予防接種の安全性に懸念が持たれ、接種率が低迷した時期が存在したためである。
このため、妊娠を希望する女性や配偶者などの同居者を対象に、地方自治体独自に抗体検査やワクチン接種費用の助成が一部で行われるようになり、さらに2019年度から3年間の時限措置として、ワクチンの集団予防接種を受ける機会のなかった1962年(昭和37年)4月2日から1979年(昭和54年)4月1日までの間に生まれた男性を、公費による無料抗体検査、予防接種(第5期)の対象者として追加した[20]。
本則接種
1977年(昭和52年)4月1日に、女子中学生を対象に風疹単価ワクチンの集団接種が開始された。
この世代の男子中学生は、ワクチン接種の対象外で抗体保有率が少ないことから、上記の第5期予防接種の対象者となった。
1994年(平成6年)からは、満1歳-7歳半(生後12か月から90か月未満の年齢の男女)および中学生男女の年齢層に対し、個別接種で風疹の単価ワクチンの接種が開始された。
2006年(平成18年)からは、MRワクチンとして満1歳(第1期)および就学前年(第2期)への麻疹風疹混合ワクチン接種を開始(2回接種法)
麻疹の定期予防接種のワクチンとしてのとして麻疹・風疹・おたふくかぜ混合ワクチン(MMRワクチン)接種
1988年-1993年の間は麻疹の定期予防接種のワクチンとして麻疹・風疹・おたふくかぜ混合ワクチン(MMRワクチン)の選択も可能であった。男子に対する風疹の予防接種が可能になったのはこの時からである。
経過措置
1995年-2003年までの間、中学生男女に対し風疹の個別接種を実施
2001年-2003年9月末の間、1979年4月-1987年生まれの男女に対し風疹の個別接種を実施
2008年-2013年3月末の間、中学1年生(第3期)、高校3年生(第4期)に相当する年齢層に定期接種として2回目の麻疹風疹混合ワクチンの個別接種を公費で実施
2回接種の実施
麻疹の定期予防接種にMMRワクチンを使用した場合、この接種はあくまでも麻疹予防接種として行われたため、中学生になった際にMMRとは別に風疹の接種が可能であった。この対象は1981年生まれから1989年生まれである。
1990年生まれ以降は、MRワクチンを使用した2回接種法に移行した。
予防接種していない世代
ワクチン接種が見込めない世代は、以下の通りである。母子健康手帳がある場合は、確認すること。
1979年(昭和54年)4月1日以前に生まれた男性。
1962年(昭和37年)4月1日以前に生まれた女性。
制度切替の時期にあたる、1979年(昭和54年)-1987年(昭和63年)生まれの男女。
MMRワクチンの接種時期にあたる1985年(昭和60年)-1995年(平成7年)生まれの男女(MMRワクチンによる健康被害の多発による接種控え)
1990年(平成2年)-1994年(平成6年)生まれは、第4期の接種対象の年齢層であり、1995年(平成7年)生まれは、上記の第3期の接種対象の年齢層である。
上述のように、公的なワクチンの接種がなかった1962年(昭和37年)4月2日から1979年(昭和54年)4月1日までの間に生まれた男性を公費による無料抗体検査、予防接種の対象者として追加した[20]。初年度の2019年度は1972年(昭和47年)4月2日から1979年(昭和54年)4月1日までの間に生まれた男性に対し、居住自治体から検査を受けられるクーポン券が発送されているが、1962年4月2日から1972年4月1日生まれの男性については、市区町村役場に連絡すればクーポン券を発送(発行)してもらえる(例外的に1962年4月2日から1972年4月1日生まれの男性を含む対象者全員にクーポン券を発送した自治体もある[21])。抗体検査の結果、抗体が弱い場合はMRワクチン接種を無料で受けられる[22]。 イタリアでは2017年の麻疹の流行を受け、国立の保育園や小学校に入る6歳以下の子どもを対象として12種のワクチン(ポリオ、ジフテリア、破傷風、B型肝炎、ヘモフィルス・インフルエンザb型菌、B型髄膜炎、C型髄膜炎、麻疹、風疹、流行性耳下腺炎、百日咳、水痘)の予防接種が義務化された[23]。 英語のrubellaは、ラテン語で赤みがかったという意味である[24]。西洋では古くは麻疹や猩紅熱の一種と考えられ、第三病(third disease)と呼ばれた[24]。 一方、日本では鎌倉・室町時代に「三日病」という病が流行していたことが『吾妻鏡』『多聞院日記』などに記録されている。富士川游は『日本疾病史』の風疹の項でこの三日病について取り上げているが、これは現在のインフルエンザに相当するのではないかという説もある[25]。「風疹」「三日はしか」という語は江戸時代の多紀元堅の『時還読我書』に見られ、これは現在の風疹を指すと考えられている[25]。 西洋医学においては、風疹は18世紀半ばに初めて記述された。Friedrich Hoffmann 1814年、George de Maton はこの疾病が麻疹とも猩紅熱とも異なることを示唆した。これらの医師はすべてドイツ人であったので、この疾病は「ドイツはしか」という一般名で知られるようになった[28]。イギリスの王立砲兵連隊の外科医であった Henry Veale は、インドでの風疹のアウトブレイクについて記述しし、1866年に現在の英語の正式名称 “rubella”(ラテン語の「小さな赤」に由来する)という語を造り出した[26][29][30][31]。 風疹が独立した疾患として公式に認められたのは、1881年にロンドンで開かれた医学の国際会議 (International Congress of Medicine) においてであった[32]。1914年 Alfred Fabian Hess 1940年、オーストラリアで風疹の広範な流行が起こった。その後、眼科医 Norman McAllister Gregg
イタリアでのワクチン接種
歴史
前近代
近現代
1962年から1965年にかけて風疹のパンデミックが発生し、ヨーロッパからアメリカ合衆国へ拡散した。1964年から1965年の間に、アメリカ合衆国で風疹は1,250万件発生したと推定される。そしてその結果11,000件の流産または妊娠中絶と20,000件の先天性風疹症候群が発生した。これらのうち、2,100件で新生児死亡、12,000件で聴覚障害、3,580件で視覚障害、1,800件で知的障害が見られた。先天性風疹症候群の影響は、ニューヨークの全出生の1%にまで及んだ[35][36]。
1969年に、弱毒化ウイルスワクチンが認可された[30]。1970年代の初頭に、麻疹、流行性耳下腺炎(おたふく風邪)、風疹の3種の弱毒化ウイルスを含むMMRワクチンが開発された[31]。2006年までに、アメリカ大陸での確認症例は年に3000件を下回った。しかしながら、2007年のアルゼンチン、ブラジル、チリでのアウトブレイクによって、その年は13,000件にまで跳ね上がった[37]。
2014年1月22日に、世界保健機関 (WHO) と汎アメリカ保健機関 (PAHO) は、コロンビアを国内で風疹が消滅したラテンアメリカで最初の国家として認定して宣言した[38][39]。そして2015年4月29日に、アメリカ大陸はこの病気が公式に根絶された最初のWHOの地域区分となった[40]。アメリカ大陸で最後の非輸入症例は2009年にアルゼンチンとブラジルで起こったものである。PAHOのディレクターは「風疹との闘いには15年以上かかったが、これが汎アメリカにおける公衆衛生の21世紀で最も重要な成果の1つとなると私は信じている」と述べた[41]。この宣言は1億6500万件の健康記録の確認の後に行われ、最近の症例はすべて既知の輸入株によって引き起こされたものであることが遺伝学的に確認されている。