風水
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また、起伏が全くない土地は「賤竜」といい、「気」が集まることがなく、住む人の身分地位を低下させるという。

「竜」のなかの位置のことであり、「竜」に囲まれて特に多くの「気」が集まるところを「竜穴」と称し、非常に尊ばれる。また「穴管吉凶」と言われ、「穴」の形状が「吉穴」(「的穴」ともいう)なら、住む人を災難から守ってくれるし、形状が「凶穴」(「歪穴」ともいう)なら、住む人はいつも災難に晒されるという。また、「穴」によっては、官運、財運、名声、などについても、良い作用や悪い作用をきたすものがあるとされる。

「穴」の周囲の空気や、周囲にある土砂や、丘や建物などの固形物のことである。「砂管寿夭」というように、健康と長寿への影響を見る。きれいな空気や、泥濘になったり塵埃が上がったりしない土地、また適度な高さの丘や建物などを「寿砂」といい、住む人を健康や長寿に導き、汚染された空気や、いつも泥濘になったり、塵埃が上がったりするような土地や、高すぎる丘崖や建物、などを「夭砂」といい、住む人を不健康や短命に導くという。

「水流」のことであり、「穴」の周囲の河川や道路など、水や車、人間などの通る道全般を言う。「水管富貧」と言われ、「水」は、住む人が金持ちか貧乏かを決定する要素とされる。「穴」の周りを取り巻いて流れるような「水」を「抱水」といい、そこに住む人は、いつも予定した以上の金銭が入り、予定以上の出費をすることがないので、次第に金持ちになる。逆に「穴」のほうに背を向けて流れる「水」を「背水」といい、そこに住む人は、いつも予定した以上の金銭が入ることがなく、予定以上の出費をすることが多いので、次第に貧乏になるという。

「立向」と称する、建物や墓石などの表面側が向く方位や、「坐山」と称する、「立向」と逆の背面側の方位のことであり、易卦干支などの理論によって、建物や墓地の良し悪しを判断する。「向管成敗」というように、「向」が良ければ、住む人は成功することができ、「向」が悪ければ、住む人は失敗することになるという。ただし、「向」のなかにも「貴賤」「吉凶」「寿夭」「富貧」などの事柄を司る要素があり、「竜・穴・砂・水」との兼ね合いによっては全般に作用を及ぼすことがある。

「地理五訣」のうち「竜・穴・砂・水」は、みな五官で認識できる要素であり、ほとんどは何らかの形状を持つ要素である。このような要素を「巒頭」という。また、「向」は、方位に付された干支易卦などの記号類型化された要素によって、その良し悪しを判断するものであり、五官で感受し得るものではない。このような理論による要素を「理気」という。

「巒頭」と言えば「竜・穴・砂・水」と、ほぼ同義に使われるが、建物や墓碑などの形状もまた「巒頭」であり、これを「本家巒頭」といい、「竜・穴・砂・水」を「外家巒頭」として区別する。
五術・六大課との関係

五術および六大課とは、占術(占い)の分類の方法である。五術とは、占術を機能論的に分類したもので、「命・卜・相・医・山」の五つを指す。また六大課とは、占術を方法論的に分類したもので、「三式」の太乙神数、奇門遁甲、六壬神課、「三典」の河洛易数、星平会海、宿曜演禽、の六つを指す。日本語ではなじみが少ない言葉だが、中国・台湾では日本で言う「占い」のことを「命・卜・相」と言い、一般的な語である。

五術の分類の中では、風水は人相、名相、印相などと同じく「相」に分類され、また「山」(山道)と関連するとも言われる。六大課の分類においては、六大課すべてにそれぞれの風水理論がある。しかし特に奇門遁甲と関係が深い。
風水六大課
太乙風水
三式の天式にあたり、天時を得る、つまりチャンスに強い方法である。
奇門風水
三式の地式にあたり、地利を得る、つまり所与条件に強い方法である。
六壬風水
三式の人式にあたり、人和を得る、つまり対人関係に強い方法である。
河洛風水
方位と形象を八卦に比定し易卦を得るため、周囲のすべが立卦できる方法。
星平風水
子平と七政を組合せ、
間取りと設備の象意を詳しく見る事ができる方法。
演禽風水
宿曜二十八宿の方位角度により、坐山立向の吉凶象意が豊かな方法。

各々の特長は、もっぱら理気つまり建造物などの方位に関するものであり、風水地理五訣の「向」に属するものである。風水ではどの方法でも巒頭つまり「竜・穴・砂・水」の見方は殆んど同じであり、特に六大課では使う記号が異なるだけで、内容はどの方法でも全く同じである。

なかでも、奇門風水の巒頭の見方は、記号類型として非常によく整理されており、風水の巒頭は古代からの奇門遁甲に基づいて理論化されたのだろうと考えられている。一方で、台湾出身の風水師張耀文張明澄)によれば、奇門遁甲の理論を風水に当て嵌めたのではなく、風水の巒頭から奇門遁甲が生まれた、と言う見方を取っている。そのため、「星平会海」などのように、「理気」については独自の理論を使うものの「巒頭」については、「奇門遁甲」の理論をそのまま使うものもあるという。
宋易と風水

漢代から宋代にかけての儒易の系譜は、経典儒と呼ばれ、四書五経を重んじ、礼儀を第一に尊ぶ規範としての学問である。『易経』は占卜の書とはいっても、もっぱら儒教の倫理を説き、儒家としての正しい処世を求めるため、経文の解釈はもっぱら十翼に偏向した。

しかし、宋代から明代にかけて、儒易の系譜は、横渠学・朱子学陽明学へと連なる、理学という学問体系を形成した。

まず、北宋時代に入ると、易卦を数理的に解釈する、象数易というものが誕生した。象数家の系譜は、円図・方図を作ったとされる陳摶(陳希夷)に始まり、?放・穆修・李之才(李挺之)、そして『皇極経世』を編んだ邵雍(邵康節)などの人脈を生んだ。

円図・方図は、現代に続く風水の系譜のなかで亜流となっている元合派、つまり三元派や三合派と呼ばれるグループの理論的な拠り所である。五術のなかでも、成立年代が古く、宋以前からある「三式」即ち、太乙神数、奇門遁甲六壬神課などは、理気においても円図・方図を根拠とはしないことからも、元合派の成立は宋の象数易以後であると考えられる。方図
小過
未済
大過?


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