風呂
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入浴時は裸にはならず、着衣のまま茣蓙に座るか寝そべる[7]。伝統的な石風呂は高度経済成長期に入ると順次姿を消し、一部地域で残存したものについては有形民俗文化財に指定された[6]

海辺の風呂と山間地の風呂では蒸気を起こす方法に違いがある。海辺の風呂では適当な温度になったところで灰の上に海藻や海水で濡らした(むしろ)を引く。川沿いの風呂は真水で濡らした稲藁菖蒲を敷いて蒸気を起こした[8]
釜風呂

釜風呂(かまぶろ)は、主に日本列島の内陸部で広まった蒸し風呂である。特に京都八瀬の竈風呂が代表的。岩で直径2m程度のドーム型に組んだ下側に小さな入口がある構成。最初にドーム内で火を焚き熱する。加熱後に換気を行い、塩水で濡らした莚を引いて、その上に人が横たわる形で入浴をした。
五右衛門風呂

五右衛門風呂(ごえもんぶろ)は、日本の風呂の種類の1つ。安土桃山時代の盗賊石川五右衛門京都の三条河原釜茹での刑に処せられたことが、名称の由来である。

東海道中膝栗毛』には小田原の宿屋で、弥次さん喜多さんが五右衛門風呂に入る話がある。そこでは当時の五右衛門風呂の構造について「土釜のうえに直接風呂の桶を据え、底板は上に浮いている。入浴時は底板を足で底に沈めて入る。薪が少なくて済み、経済的である」と説明し、上方の形式であったとしている[注釈 1]。弥次喜多はこの風呂の入り方を知らず、底板をとりのけて入ろうとしたため釜底に触れて足を火傷し、悩んだ末に便所下駄をはいて風呂に入る。喜多さんは下駄で踏みつけたあげく、釜を壊して大恥をかく。

江戸時代の『守貞漫稿』の居風呂の条に、「京坂専用は桶に底を付せず代㆑之に平釜を用ひ土竈の上に置㆑之で薪及び古材古器機朽木之類焚㆑之故に湯屋に不㆑与㆑之也此風呂を五右衛門風呂と号ることは昔の五右衛門なる者油煮の刑俗の釜煮と云ふに行るると云伝へ理相似たるを以て也」という。

2014年11月現在、五右衛門風呂は唯一の生産メーカーである広島県大和重工鋳鉄製のものが生産されている。厳密には、全部が鉄でできているものは「長州風呂」と呼び、五右衛門風呂は縁が木桶で底のみ鉄のものを指す。厚い鋳鉄製のため、比較的高い保温力が期待できる。
かつての日本の風呂場
日本式風呂桶(五右衛門風呂、長州風呂)と洗い場。洗い場に置かれているのは、脚つきのたらいと脚つきの洗面桶。洗い場からは一段上がった風呂桶にまたいで入る。風呂桶の縁は、桶からあふれた湯が洗い場側に流れ落ちるように、一段下がったしつらえになっている。画面右側の壁には、上段に薪をくべる穴と下段に薪が燃えた後の灰を掻き出す穴が穿たれている。この例では火勢が落ちないよう、レンガを穴に挿し込んで蓋をする構造になっている。水道がない時代は外部から湯桶に水をくみ入れたり、入浴後の風呂桶の残り湯を外へ運び出したり、外部で汚れた足を洗い流せるよう、洗い場から一段下がった部分は土間のたたきになっている。
ドラム缶風呂

ドラム缶風呂(ドラムかんぶろ)は、日本の風呂の種類の1つで、空いたドラム缶を廃品利用して風呂として使用したものであり、五右衛門風呂の亜種である。石を積んで作った釜の上に置いたドラム缶に水を満たし、底部を釜の火で熱してお湯にする。入浴は五右衛門風呂と同様に、木の蓋を踏んで入るか、あるいは下駄を履いて入るかである。第二次世界大戦中には燃料の空き缶など素材が調達しやすいことから戦地でよく作られ、戦後も簡易な風呂として内風呂のない家庭も多かった昭和40年代(≒1965年 - 1975年)頃までは一般家庭でもしばしば行われていた。現在でも、ボーイスカウト子供会などの行事、あるいは宿泊施設の娯楽として野外でドラム缶風呂に入浴できるようなドラム缶加工品(底部に水抜き用水栓が付いている)が市販されている。
木桶風呂(鉄砲風呂)木桶風呂(2003年撮影)木桶風呂に浸かる様子(1911年)

日本の風呂の1つで、ヒノキを用いた大型の小判型木桶に、火を焚くため鋳物製の釜と煙突が付属する形状をしている。煙突のついた釜の形状が鉄砲に似ているため、「鉄砲風呂」と呼ばれることもある。江戸時代から存在したが、一般に普及したのは明治時代から大正時代にかけてと言われている。右の写真のものは二重構造の釜に浴槽内の水を対流循環させる、現在の追い焚き型の風呂沸かし器と同様の構造の比較的新しい型である。原型は浴槽内に沈めた金属筒に火のついた薪や炭を入れて湯を加温するものであった。湯船と一体構造とした釜と煙突により直接加温する型も存在した。過渡期には、木桶の鉄砲風呂の熱源をガスバーナーに置き換えたり、逆に写真の物のような薪焚きの釜にFRP製の浴槽を組み合わせた例など、近代日本の家庭の風呂の発達史を見ることができる。現在では五右衛門風呂と同じく見られる機会は少ない。
ガス風呂

明治時代から1950年代まで使われ[9]、初期の団地[注釈 2]にも使われた。構造は鉄砲風呂にガスバーナーを取り付けただけのものであった。高価なために普及しなかった。 主に浴室内吸排気タイプがほとんどで[注釈 3]中毒事故が多発した。[10]
FRP風呂

1958年伊奈製陶(現LIXIL)がFRPと循環釜を組み合わせた「ポリバス」を発売。浴槽は、高温にも耐えられ、保温性も良く[11]木桶風呂に代わるものとなった。以降、他社の参入やバランス釜の組み合わせにより、全国の団地や家庭に普及した。
ユニットバスユニットバス詳細は「ユニットバス」を参照

壁・天井・浴槽・床を工場で成型しておき、現場に搬入して組み立てる風呂。洗面台トイレと一体型となっているものもあるが、排泄に用いるトイレを風呂と一体化することを不衛生と見なす価値観が日本では主流である。そのため、西洋式のホテル以外では、低所得者向け住宅などへの設置がある程度であり、日本で流通しているユニットバスはそのほとんどが風呂トイレ分離型である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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