日本の風呂の1つで、ヒノキを用いた大型の小判型木桶に、火を焚くため鋳物製の釜と煙突が付属する形状をしている。煙突のついた釜の形状が鉄砲に似ているため、「鉄砲風呂」と呼ばれることもある。江戸時代から存在したが、一般に普及したのは明治時代から大正時代にかけてと言われている。右の写真のものは二重構造の釜に浴槽内の水を対流循環させる、現在の追い焚き型の風呂沸かし器と同様の構造の比較的新しい型である。原型は浴槽内に沈めた金属筒に火のついた薪や炭を入れて湯を加温するものであった。湯船と一体構造とした釜と煙突により直接加温する型も存在した。過渡期には、木桶の鉄砲風呂の熱源をガスバーナーに置き換えたり、逆に写真の物のような薪焚きの釜にFRP製の浴槽を組み合わせた例など、近代日本の家庭の風呂の発達史を見ることができる。現在では五右衛門風呂と同じく見られる機会は少ない。 明治時代から1950年代まで使われ[9]、初期の団地[注釈 2]にも使われた。構造は鉄砲風呂にガスバーナーを取り付けただけのものであった。高価なために普及しなかった。 主に浴室内吸排気タイプがほとんどで[注釈 3]、中毒事故が多発した。[10] 1958年、伊奈製陶(現LIXIL)がFRPと循環釜を組み合わせた「ポリバス」を発売。浴槽は、高温にも耐えられ、保温性も良く[11]木桶風呂に代わるものとなった。以降、他社の参入やバランス釜の組み合わせにより、全国の団地や家庭に普及した。 壁・天井・浴槽・床を工場で成型しておき、現場に搬入して組み立てる風呂。洗面台やトイレと一体型となっているものもあるが、排泄に用いるトイレを風呂と一体化することを不衛生と見なす価値観が日本では主流である。そのため、西洋式のホテル以外では、低所得者向け住宅などへの設置がある程度であり、日本で流通しているユニットバスはそのほとんどが風呂トイレ分離型である。第二次世界大戦前のアメリカでは特許が取られたが、普及しなかった。日本では1960年代半ばにホテルを皮切りとして1970年代半ばより、集合住宅向けに大量かつ容易に組み立てられる浴室として普及した。最初に大量納入されたのは、1964年の東京オリンピックに向けて突貫工事が行われていた、東京のホテルニューオータニからの発注で作られた東洋陶器(現・TOTO)の製品である[12]。初期の製品は繊維強化プラスチック (FRP) 製の浴槽が主流であったが、素材の開発が進んだ1980年代以降ではポリエステル樹脂やアクリル樹脂を用いた人工大理石浴槽や、保温性の高いステンレス浴槽を用いたものも出現した。 浴槽内に勢いのある泡を出す風呂を「噴流式泡風呂」と言うが、一般には「ジェットバス」「ジャクージ」「ジャクジー」「ジャグジー(日本語の「蛇口」由来の誤読)」などと呼ばれる。浴槽内を照らす照明を備えるものもある。 「噴流式泡風呂」は、イタリア系アメリカ人のJacuzzi(イタリア語発音: [ja?kuttsi] ノーリツ、松下電工(現・パナソニック)、東陶機器(現・TOTO)、日立化成工業(現・ハウステック)、INAX(現・LIXIL)が製造・販売したジェット噴流装置を備えた浴槽で、入浴中に何らかのトラブル(事故)が発生した例が報告された。なかでも、INAXやノーリツが製造・販売したジェット噴流装置を備えた浴槽に至っては、前者が1992年に、後者が2000年に、それぞれ死亡事故を発生させてしまったという事例もある。[13][14][15][16]「ノーリツ#沿革」および「浴槽#当該浴槽の問題点」も参照 その名の通り、お湯の代わりに水を張った風呂である。夏場、暑いときに入ることが多い。また、サウナに入った後に汗を引かせるために入ることもある。 江戸時代の農村では、風呂といえば、水風呂=桶の中での行水であったとされ、各地に残されている道中日記や本陣文書には「水風呂二つ」や「水風呂三個」といった記述がみられ、行水用の桶と推測される[17]。
ガス風呂
FRP風呂
ユニットバスユニットバス詳細は「ユニットバス」を参照
噴流式泡風呂ジャクージの一例
当該風呂の問題点
水風呂