風吹ジュン
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風吹 ジュン(ふぶき ジュン、1952年5月12日 - )は、日本アイドル[4][5][6]、歌手[5][7]女優[5][6][8]。本名:堀川麗子[1]

富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ[2][注 1]富山県高岡市(小学生から中学2年まで[9])と京都市育ち。パパドゥ所属。高岡市立二上小学校[1]?京都市立花山中学校卒業[1]
来歴・人物

高校教員の父と母の間に生まれるが[2]、11歳小学校5年時に父が愛人を作り[2]、両親が離婚[2][10]。ここから人生が暗く傾斜していく[2]

中学校2年で母親の育児放棄に伴い、中学3年のとき[2]、母方の親戚を頼り[2]、母・兄と3人で京都に移り住む[10](暮らしは非常に貧しく、京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった[10])。内職やアルバイトをする日々だったという[10]。高校進学は母に拒否され家出[2]、以降3年間自活し[2][3]、京都で様々な仕事に就く[2][3]。18歳で上京し、飲食店などに勤務[10]1970年の秋から[1][2]、1年間[1][2][3]銀座の高級クラブ「徳大寺」[注 2]ホステスとなり[2][3][14]源氏名「レオ」として働いていたとき[1][2]、客に[2]スカウトされる[2][15]

芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン」[15]。「ハワイに行ったのが6月(June)で、風が強く吹いていたので、合わせて命名した」[1]

1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ[3][4][5]デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真マスメディアに浮上[1][3][15]1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューすると人気が爆発[1][3][5][16]キャッチフレーズは「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」で[1][3]、この歌手デビュー時は、ギリギリ21歳だったが[3]、ホステス時代を隠すため[3]、19歳として売り出したことが後でスキャンダルの一つとなった[3]。作家の但馬オサムによると、総じて歌唱力は低いとされている[17]。風吹自身「私は歌が一番ヘタの横綱」と述べている[11]

人気は束の間で[16]、1974年から2度に渡る事務所移籍問題を巡り[1][2][11][18][19]暴力団が介入して[2][19]、風吹誘拐事件[2][11][18][19]、失踪事件[2]などのスキャンダルとなり[1][11][18][19]マスメディアが大騒ぎし[1][2][11]、二重契約問題でCMを降ろされ[16]、風吹自身も2年の年齢詐欺や先の銀座のホステス経験[1][2][11][16]、デビュー時のプロフィールでは「京都市立日吉ヶ丘高等学校卒」としていたことがウソとバレ[1][3][18]、当時ついていた清純派歌手イメージが崩れた[1][11][18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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