風吹ジュン
[Wikipedia|▼Menu]
1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ[3][4][5]デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真マスメディアに浮上[1][3][15]1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューすると人気が爆発[1][3][5][16]キャッチフレーズは「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」で[1][3]、この歌手デビュー時は、ギリギリ21歳だったが[3]、ホステス時代を隠すため[3]、19歳として売り出したことが後でスキャンダルの一つとなった[3]。作家の但馬オサムによると、総じて歌唱力は低いとされている[17]。風吹自身「私は歌が一番ヘタの横綱」と述べている[11]

人気は束の間で[16]、1974年から2度に渡る事務所移籍問題を巡り[1][2][11][18][19]暴力団が介入して[2][19]、風吹誘拐事件[2][11][18][19]、失踪事件[2]などのスキャンダルとなり[1][11][18][19]マスメディアが大騒ぎし[1][2][11]、二重契約問題でCMを降ろされ[16]、風吹自身も2年の年齢詐欺や先の銀座のホステス経験[1][2][11][16]、デビュー時のプロフィールでは「京都市立日吉ヶ丘高等学校卒」としていたことがウソとバレ[1][3][18]、当時ついていた清純派歌手イメージが崩れた[1][11][18]。清純派イメージが無くなると以降、ヌードも辞さず[1][20]1977年白熱デッドヒート』で映画初出演すると1979年の『蘇える金狼』で松田優作とフルヌードで激しい濡れ場を演じ[1][5][8][20]、ファンやマスメディアを驚かせ[20]、また女優として高い評価を得た[1][8][20]。清純派タレントが醜聞をテコに成長した例はそれまでほとんど無かった[1]。スキャンダルを乗り越えた後はぶっちゃけるようになり[2]、「17歳で初体験。以来、常に恋人はいました。男に尽くして仕事がダメになったことあります」などと話した[2]。彼女は、所属事務所を辞めると決めていたが、1975年に『寺内貫太郎一家2』への出演が決まった[21]。(出演が可能になったことについては、樹木希林の口添えがあったという。以降、樹木が亡くなるまで親交があった)

1981年川添象郎と結婚[19]。1男1女をもうけるも、1992年に離婚[22]。娘と息子を引き取って育てる[10]2023年現在、娘・孫はアメリカ合衆国在住[23]
出演
テレビドラマ
NHK

土曜ドラマ

鎌田敏夫シリーズ / 十字路 第一部第3話「沖縄編 自由」(1978年) - 時枝

阿修羅のごとく(1979年) - 竹沢咲子

一日三回食後に服用・よひんびん物語(1995年) - 玲子

風のねがい(1997年) - 大野みどり

空白を満たしなさい(2022年) - 土屋恵子[24]


立花登 青春手控え(1982年) - お英

腕におぼえあり(1992年) - 細谷文


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:240 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef