風吹ジュン
[Wikipedia|▼Menu]
中学校2年で母親の育児放棄に伴い、中学3年のとき[2]、母方の親戚を頼り[2]、母・兄と3人で京都に移り住む[10](暮らしは非常に貧しく、京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった[10])。内職やアルバイトをする日々だったという[10]。高校進学は母に拒否され家出[2]、以降3年間自活し[2][3]、京都で様々な仕事に就く[2][3]。18歳で上京し、飲食店などに勤務[10]1970年の秋から[1][2]、1年間[1][2][3]銀座の高級クラブ「徳大寺」[注 2]ホステスとなり[2][3][14]源氏名「レオ」として働いていたとき[1][2]、客に[2]スカウトされる[2][15]

芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン」[15]。「ハワイに行ったのが6月(June)で、風が強く吹いていたので、合わせて命名した」[1]

1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ[3][4][5]デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真マスメディアに浮上[1][3][15]1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューすると人気が爆発[1][3][5][16]キャッチフレーズは「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」で[1][3]、この歌手デビュー時は、ギリギリ21歳だったが[3]、ホステス時代を隠すため[3]、19歳として売り出したことが後でスキャンダルの一つとなった[3]。作家の但馬オサムによると、総じて歌唱力は低いとされている[17]。風吹自身「私は歌が一番ヘタの横綱」と述べている[11]

人気は束の間で[16]、1974年から2度に渡る事務所移籍問題を巡り[1][2][11][18][19]暴力団が介入して[2][19]、風吹誘拐事件[2][11][18][19]、失踪事件[2]などのスキャンダルとなり[1][11][18][19]マスメディアが大騒ぎし[1][2][11]、二重契約問題でCMを降ろされ[16]、風吹自身も2年の年齢詐欺や先の銀座のホステス経験[1][2][11][16]、デビュー時のプロフィールでは「京都市立日吉ヶ丘高等学校卒」としていたことがウソとバレ[1][3][18]、当時ついていた清純派歌手イメージが崩れた[1][11][18]。清純派イメージが無くなると以降、ヌードも辞さず[1][20]1977年白熱デッドヒート』で映画初出演すると1979年の『蘇える金狼』で松田優作とフルヌードで激しい濡れ場を演じ[1][5][8][20]、ファンやマスメディアを驚かせ[20]、また女優として高い評価を得た[1][8][20]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:240 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef