風に吹かれて_(ボブ・ディランの曲)
[Wikipedia|▼Menu]
1962年4月、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」で友人たちと長時間黒人の公民権運動について討論したはてに生まれ、「コモンズ」か「ファット・ブラック・プシーキャット」に座って数分で書き上げたと言われている。「10分で書いた。古い霊歌に言葉を当てはめたんだ。多分カーター・ファミリーのレコードか何かで覚えたものだと思う。これがフォーク・ミュージックのいつものやり方だ。すでに与えられているものを使うんだ。」とディラン本人は述べている[6]。できあがった日[7]の晩、友人のフォーク・シンガーのギル・ターナーが月曜フーテナニーのMCとして出演していた「ガーディス・フォーク・シティ」に激しい勢いで駆け込み、ターナーに新しい歌を聴いてくれないかと言って[8]歌ってきかせる。ターナーは「すごい。こんな歌を聞いたのは生まれて初めてだ! 最高にすばらしい歌だ!」といい、楽屋でコードをディランから教えてもらい、そのままステージにかけあがってそれを歌った。歌詞はテープでマイクに貼りつけてあった。客達は熱狂し、ディランはカウンターの横に立って笑っていた。翌日には、ネッド・ライトに聴かせている。

4月25日[9]、「ガーディス・フォーク・シティ」で歌った際、「これはプロテストソングとかじゃなくて…ただ誰かの為だと言って話していることについて、言いたいことを曲にしただけです。誰かのね」と話している。まだこのときまでは歌詞が2番までしかなかった[10]。その後歌詞を追加したとみられ、手書きの歌詞原稿には、追加した3番と2番を入れ替えることが書かれている[11]。5月下旬にはトピカル・ソングを紹介する雑誌『ブロードサイド』誌第6号に、3番までの歌詞と楽譜が掲載されている( ⇒Broadside # 6, Late May 1962 (PDF))。

当初、ニューヨークのフォーク・アーティストの多くがこの歌を評価しなかった。「友よ、答えはおまえをやっつけること」などとパロディにして茶化されたが、「レコードにもなっていないのに、あんなにたくさんのパロディが生まれるほど強力な歌であれば、ぼくが感じていたよりずっと力のある歌だと思った」と述べている[12]

6月、雑誌『シング・アウト!』誌10・11月号の特集(表紙はディラン)のため、ターナーとのインタビュー。「この曲について、私の口からあまり言うべきことはありません。ただ、その答えは風に舞っているということだけですよ。本や映画やテレビのショーや、議論の中には答えはない。そうなんですよ。風に舞っているんです。風の中に舞っているんです。ヒッピーたちがずい分やって来て、答えがどこにあるか私に言って聞かせましたが、私はそんなことは信じません。やっぱり答えは風に舞っているんです。風に吹かれてくるくる舞っている紙切れみたいに、いつかきっと降りて来るんです」[13]と述べている。7月2日、カナダ・モントリオールケベックの「フィンジャン・クラブ」で演奏。

7月9日、コロムビア・レコーディング・スタジオにて録音。7月30日、ウィットマーク社著作権登録。

イギリスに渡った1963年1月、BBCのテレビ・ドラマ『マッドハウス・オンキャッスル・ストリート』に出演したディランは、ボビーという役で劇中「風に吹かれて」を演奏した。3月、WBCのテレビ番組で演奏。4月12日ニューヨーク、タウン・ホールでソロ・コンサート。4月26日、シカゴのラジオ番組で演奏。

1963年5月、セカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』リリース。6月、マネージャーのアルバート・グロスマンが同じくマネージメントをしていたピーター・ポール&マリーのシングルがリリース、7月13日、ビルボードのポップ・チャートで2位を記録。7月26日、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出演したディランは、聴衆から大喝采で迎えられ「風に吹かれて」をピータ・ポール&マリー、ピート・シーガーら出演者たちと合唱。直後、『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』は、一週間に1万枚も売れたと伝えられている[14]7月30日、テレビ番組『ソング・オブ・フリーダム(自由の歌)』に出演して演奏。8月、ディラン・バージョンもシングル・カットされリリースされた。

ターナーの話では、この曲が黒人霊歌を歌うオデッタの「競売はたくさんだ(No More Auction Block)」の創造的な作り変えであると最初に指摘したのは、ピート・シーガーだという[15]。ディランは、オデッタのレコードから曲を覚えカバーも歌っており、アルバム『ブートレッグ・シリーズ第1?3集』(1991年)には、1962年10月、「ガスライト」でディランが「競売はたくさんだ」を歌った音源が収められている。
反響

ピュリツァー賞受賞者のアンソニー・リュウイスは公民権運動の記録である著書『十年間の顔(Portrait of a Decade)』の冒頭に「風に吹かれて」の数行を引用した[16]
収録アルバム
スタジオ録音

フリーホイーリン・ボブ・ディラン(1963年)


ライブ録音

ノー・ディレクション・ホーム:ザ・サウンドトラック(2005年)1963年4月12日 ニューヨーク、タウン・ホール

ニューポート・フォーク・フェスティヴァル1963?イヴニング・コンサート(オムニバス、1964年)1963年7月26日、ニューポート・フォーク・フェスティヴァル

バングラデシュ・コンサート(1971年)1971年8月1日 ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン

偉大なる復活(1974年)1974年、ザ・バンドとの共演

ローリング・サンダー・レヴュー(2002年)1975年11月20日マサチューセッツ州ケンブリッジ、ハーヴァード・スクエア・シアター、ジョーン・バエズとのデュエット

Rare, Live & Classic (ジョーン・バエズ、1993年)1976年5月23日カリフォルニア州フォート・コリンズ、バエズとのデュエット

武道館(1979年)1978年東京日本武道館

THINGS HAVE CHANGED?DYLAN ALIVE! VOL.3(2000年)2000年3月16日カリフォルニア州サンタ・クルーズ、Santa Cruz Civic Auditorium


カバー
海外

「風に吹かれて」
ピーター・ポール&マリーシングル
初出アルバム『イン・ザ・ウィンド』
B面Flora
リリース 1963年6月
規格7" シングル
ジャンルフォーク
レーベルワーナー・ブラザース・レコード
作詞・作曲ボブ・ディラン
チャート最高順位


2位(ビルボード Hot 100


1位(ミドルロード・シングルズ)

ピーター・ポール&マリー シングル 年表

セトル・ダウン
(1963年)風に吹かれて
(1963年)くよくよするなよ
(1963年)


テンプレートを表示

「風に吹かれて」は数多くのアーティストによってカヴァーされている。商業的に最も成功したものがピーター・ポール&マリーによるバージョンで、このシングルは『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』がリリースされた3週間後の1963年6月にリリースされ、『ビルボード』誌の「ミドルロード・シングルズ」チャートで8月3日付から5週連続1位に、8月17日付「Hot 100」チャートで最高の2位を記録した[17][18][19][20][21][22]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef