顧問
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かつては中国共産党中央顧問委員会が存在し、1982年の設立以降「八老治国」といわれた長老支配を背景にケ小平陳雲といった大物政治家が主任(委員長相当)を務めたが、第3代総書記江沢民が選ばれた1992年の第14回党大会で廃止された。
企業その他の団体における顧問「相談役」も参照

企業その他の団体が行う業務について、高度な意見を聞くために又は団体の信用を増し箔を付けるためにおかれる。内部の常勤ないし非常勤の顧問として、引退した役員(前社長、前会長)のほか、監督官庁で幹部を務めた高級官僚などの例もある(天下り)。1911年済生会が創設された際には、山縣有朋大山巌松方正義大隈重信徳川家達渋沢栄一など元老元勲旧幕府出身の有力者などが顧問に名を連ねた(総裁は皇族の長老で陸軍大将伏見宮貞愛親王、会長は首相の桂太郎[4])。外部の顧問としては、コンサルタント会計士弁護士などの専門家が顧問となることもある。また、役員を前提に入社した者が、株主総会までの間、顧問としての肩書きで仕事に従事することもある。大規模な法律事務所においては、引退したパートナー裁判官検察官若しくは行政官又は法学者,あるいはパートナーとアソシエイトの中間的な立場の弁護士などが顧問という地位を与えられることがある。この場合は、カウンセルオブ・カウンセルなどとも呼ばれる。

暴力団における顧問・最高顧問などの役職は、当代の組長と先代組長時代同格以上であった者が、その格を維持したまま、当代組長の舎弟・子分以外の立場で組に残る際に与えられることが多い(通常であれば引退するか当代組長の舎弟となる)。
財務アドバイザー(financial advisor)

M&Aなどの案件において財務的な側面(例えばプライシング)について投資銀行等が助言を行うもの。ファイナンシャル・アドバイザー、FAなどとも。
法律顧問(legal counsel, legal advisor)

日常の法律問題について、あるいは、特定の案件に関する法的な側面について外部の弁護士が助言を行うもの。後者の意味については、法務アドバイザー・顧問弁護士とも。  
ジェネラル・カウンセル(general counsel)

米国等の企業において、法務を統括する役職。日本の企業の法務部長に近い。
枢密顧問詳細は「枢密院 (日本)」を参照

大日本帝国憲法の第56条に定められた重要な国務に関して天皇に意見を述べる。「樞密顧問は樞密院官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応え重要の国務を審議す」と規定された。枢密院の構成員であり、内閣帝国議会を牽制した。職名としては枢密顧問官。
宮中顧問

ヨーロッパの君主国のほか、日本では大日本帝国時代に存在した。職名としては宮中顧問官である。
内閣顧問詳細は「内閣顧問」を参照

日本では1943年内閣参議の後継として創設されたが短期間で廃止された。平成になって内閣特別顧問が創設された。またシンガポールでは初代首相のリー・クアンユー上級相を退任する際の処遇のために内閣顧問が設けられた。
投資顧問「投資顧問会社」も参照

投資に際して助言をする事業者のこと。
軍の顧問

発展途上国が軍の近代化や最新兵器の導入のためにアメリカやイギリスやフランスなどの先進国の軍人や技術者を雇うことがある。これらを「軍事顧問」といい、帝国主義時代には軍事顧問を派遣することは被派遣国への影響力を増大するものとして派遣国の権益の一つともみられていた。冷戦時代には米ソ両国が影響下の国に軍事顧問を送っていたが、中には顧問と称して部隊そのものを派遣し直接戦闘活動を行わせるケースもあった。冷戦終了後は民間軍事会社が有償で軍事顧問業務を引き受けるケースが増加する。
旧日本軍の占領地域における現地政府の顧問

満洲事変以降、旧日本軍が中国大陸各地の占領地で現地人政治家に政府を作らせた際に、日本人の政治家・官僚を顧問・最高顧問などの役職につけて実質的な指導権を確保した(内面指導)。たとえば1939年に発足した蒙古聯合自治政府では、満洲国で要職を歴任し蒙疆聯合委員会の最高顧問であった金井章次が初代最高顧問となり、1945年までに金井の他2名が就任した。
音楽顧問

オーケストラ指揮者に音楽顧問の称号を授与・任命する場合がある。普通は名誉指揮者と同様の存在であるが、ヘルベルト・フォン・カラヤンパリ管弦楽団の音楽顧問に就任したときは、音楽監督不在ということもあり実質的な音楽監督であった(カラヤン自身がベルリン・フィルの終身常任指揮者との兼務になる関係で責任の軽い称号を望んだといわれる。歴代音楽監督の表にもカラヤンは掲載されている。)。他に同様の例としてバンベルク交響楽団の芸術顧問になったオイゲン・ヨッフムの例がある。
部活動・サークル活動・クラブ活動などにおける顧問

学校の部活動などでは教員が務めることが多い。コーチ監督などの指導員を兼ねることもあり、校外での活動に際し種々の作業(選手登録、引率、大会役員など)に追われる。休日練習や合宿、大会などで授業以外の時間を拘束されることも多く、時間外手当も少ない。また、経験や指導力を持たない部の顧問を任されることがある一方で、「(専門の)部活動を教えるために教員を目指した」という教員も存在する。野球における一部のチームのように、教員の顧問は「部長」として裏方に専念し、技術指導は専門家を監督として招聘する例もある。フィクションでは「経験のない部活の顧問を任された主人公が部を予想外の快進撃に導く」というパターンがよくある(川原泉甲子園の空に笑え!」など)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 自民党創設後の早い時期には吉田茂岸信介のような「議員在職25年未満の三権の長経験者」がいた。
^ 1974年の時点で60人いて、その中には三木武夫中曽根康弘のような「これから総裁を目指す人物」まで入っていた。戸川猪佐武「昭和の宰相7 田中角栄と政権抗争」講談社文庫、1985年、P109
^ 戸川猪佐武「小説永田町の争闘」P361?364(角川文庫)によると、1980年の時点では「[正副総裁・衆参両院議長の経験者で現職国会議員であること」が資格であり、1982年に「国会議員を引退している岸信介元首相を最高顧問に加えたい」という鈴木善幸総裁(首相)の意向で「現職国会議員」が削除された(ただし、「福田赳夫に近い岸を最高顧問にして福田を懐柔する」という鈴木の意図そのものは失敗に終わった)。


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