顕生代
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ペルム紀は約3億年前[38]から約2億5100万年前[79]までの間の時代。ペルム紀にはほとんどすべての大陸が陸続きとなった超大陸パンゲアが出現した。ペルム紀の気候は石炭紀に引き続き寒冷で南半球のゴンドワナ大陸には氷河も形成された。

陸上では石炭紀に引き続いて分椎類のエリオプスのような強力な両生類が繁栄したが、ペルム紀の終わりころになると相次いで姿を消していった[74]。石炭紀の末に羊膜類から単弓類竜弓類が生まれ、竜弓類は更に双弓類を生みだし、彼等は地上の各地へ適応放散していった。単弓類は過去には『哺乳類型爬虫類』とも呼ばれていたが、ペルム紀後期には体長4mを超える種も現れ、ゴンドワナ大陸の各地に生息して両生類を凌駕するようになった。この仲間から三畳紀に哺乳類が派生してくる。双弓類は次の中生代に繁栄する恐竜や翼竜・魚竜・長頚竜の他に、現在の鳥類・ヘビ・トカゲ・ワニ・カメなど広い範囲の生物に発展するが、ペルム紀ではあまり目立たない存在であった。陸上では石炭紀のシダ植物類に代わって裸子植物が優先種となった[75]。羊膜類の中から初めて植物を食べる、すなわち消化器官中にセルロースを分解する微生物と共生する体制を持った陸上脊椎動物が生まれた[80]。一方、当時の植物食の昆虫類の食べ物は胞子や花粉または発酵して変質した植物体で、枝についた葉を直接食べる昆虫の存在は確認されていない[81]。ペルム紀以降は、リグニンの分解能を獲得した菌類(白色腐朽菌)の出現により木材が分解されるようになり石炭紀が終焉を迎える理由となり、菌類による木材の分解と酸素の消費によりジュラ紀後期まで酸素濃度が長期的に低下することとなった[72]過去10億年の大気中の酸素濃度の変化

ペルム紀の末の約2億5000万年前に史上最大規模の生物大量絶滅事件が起こった。海中ではフズリナや古代サンゴの四放サンゴ、三葉虫など当時の海生無脊椎動物の種の96%が絶滅、陸上動物も種の70%が絶滅したとされる[82]。絶滅は約2億6000万年前と約2億5000万年前の2回発生したが、1回目の絶滅事件の原因は急激な寒冷化とそれによって生起した氷床の発達と海水準の大幅な低下およびその後の上昇によると想定されている。生物界がこの痛手から立ち直りつつあった時に2回目の破局的な絶滅事件が起こった。1回目の絶滅事件については現在の中国の峨眉山で起きた噴火との相関性が、2回目の絶滅事件の原因については同時期に発生したシベリア洪水玄武岩との相関性が議論されている[注釈 17]

体長2mの肉食両生類エリオプス ワニのような顎と歯を有するラキトム類

横に広がった頭骨を持つ両生類ディプロカウルス 体長約1m、成長後も水中で生活した

羊膜類の単弓類に属する植物食のエダフォサウルス 体長3m

肉食の単弓類ゴルゴノプス亜目イノストランケビア

古生代の海中で栄えP-T境界で絶滅したフズリナ

三畳紀の気候と生物

三畳紀は約2億5100万年前[79]から約2億年前[38]までの時代。三畳紀は中生代の始まりであり、地球の気候は温暖化に向かう。生物界ではペルム紀末の大量絶滅事件の影響は非常に大きく、生物多様性の回復まで約1000万年が必要であった[83]。地上の森林が壊滅した結果、全世界において前期三畳紀の石炭層は皆無であり、中期にようやく石炭の生成が始まり、後期三畳紀に石炭の厚い地層が復旧する[84]。また浅海ではほとんどの生物が死滅してしまったため多様性が著しく減少し、二枚貝のクラライアのみによって形成された礁や[85]、原生代と同様なシアノバクテリアによるストロマトライトの形成が世界各地で確認されている[86]

後期三畳紀になると生物多様性は回復し、単弓類から ほとんど現在の哺乳類に近い外形を有したキノグナトゥスなどが現れ繁栄したが、この系統は三畳紀末に絶滅した。初期の哺乳形類として、三畳紀末に現れた体長12cmのエオゾストロドンなどが挙げられる。単弓類は4足歩行を堅持したが、双弓類の中の一群主竜類からは直立2足歩行を行うものが現れた。アルゼンチンの三畳紀末の地層から見つかったエオラプトルはスマートな体型で後肢による2足歩行を実現し、世界最古の恐竜の一つと考えられている[87]。恐竜は次のジュラ紀白亜紀で大繁栄する。双弓類の中では 狭義の恐竜(竜盤類鳥盤類)以外に、恐竜と同じく主竜類に属するワニ、ムカシトカゲなどの鱗竜類(トカゲを含む一群)、カメ[注釈 18]などがペルム紀から三畳紀にかけて分化、発展していった[88]。恐竜の姉妹群といえる翼竜は小型のエウディモルフォドン などが三畳紀末の空を飛び始めた。海に進出した爬虫類である魚竜は完全に海に適応したスタイルを有し、全長15mに達するショニサウルスが三畳紀末に現れた[89][注釈 19]。後期三畳紀においては特にワニに近いグループの主竜類(クルロタルシ類)が繁栄を極めた。三畳紀の両生類はゲロトラックスのように陸上の生活を捨て水中生活に戻った種が多かった。

P-T境界のあと三畳紀の前期から中期にかけて、地上はシダ植物が優勢であった[90]。後期三畳紀には裸子植物が主体となりグロッソプテリスソテツイチョウなどが繁栄した[75]。三畳紀の終わり約1億9900万年前に大量絶滅事件が起こり、海洋生物の科のうち22%、脊椎動物の科の12%が絶滅した。この事件の原因として超大陸パンゲアの分裂開始の際の大規模な火山活動である中央大西洋マグマ区の活動との関連が検討されている[91]

肉食の単弓類キノグナトゥス 全長1.5m、体毛があったと考えられている

三畳紀後期に現れた魚竜ショニサウルス イルカのような体型で体長15mもあった。

最初期の恐竜エオラプトル 体長1m

最古の翼竜エウディモルフォドン 翼長90cm

ジュラ紀の気候と生物

ジュラ紀は約2億年前から1億4500万年前までの時代[38]。パンゲア大陸の分裂に際し非常に活発な火山活動がおこり、ジュラ紀の大気中に大量の二酸化炭素が供給され、温室効果が高まった。その結果ジュラ紀の気候は現在よりも温暖で、平均気温は現在よりも10℃以上高かったが、乾季と雨季がはっきり分かれる気候であった[92]

ジュラ紀に恐竜は大型化し、南極大陸を含む全世界の陸地に広がった。竜盤類の草食恐竜竜脚類は南アフリカのジュラ紀前の地層から発見された全長6.5mのブルカノドンが最初であるが、次第に大型化し、北米のモリソン層から全長33mのディプロドクス(旧セイスモサウルス)など竜脚類4科9属、タンザニアのテンダクル層から全長25mのギラファティタンなど数種、中国の四川省で全長20mのオメイサウルスなどが見つかっている。竜盤類の肉食恐竜獣脚類は、ジュラ紀前期の北米と中国の地層から発見されたディロフォサウルスは全長6mであったが、ジュラ紀後期のアロサウルス(北米とタンザニア)は全長11mに達した。また南極から獣脚類クリオロフォサウルスの頭骨が発掘されている(全長推定6m)。鳥盤類では剣竜類が多く見つかっているが、北米産のステゴサウルスは全長9mに達した[93]が、剣竜類はジュラ紀末には多様性を大幅に減らした[94]


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