顕生代
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新第三紀は約2300万年前[38]に始まったが、次の第四紀との境界は議論が多く、現在のところ約258万8千年前[注釈 23]までとされている。新第三紀には中新世と鮮新世がふくまれる。古第三紀に隆起し始めたアルプス山脈ヒマラヤ山脈が新第三紀には高山となった[注釈 24]。特に雨量の多いヒマラヤ山脈では激しい浸食が起こって大量のカルシウム塩が海に供給され、このカルシウム塩が効果的に二酸化炭素を吸収したため[124]大気中の二酸化炭素量が史上最低のレベルまで低下した[70]。前時代の漸新世に南極に氷床ができたが、約1200万年前から更に寒冷化が進行し約350万年前には北半球にも氷冠が形成された[125]

新第三紀の前半の中新世には、現代の哺乳類のほぼすべてのグループが出現した。また種の数や個体数も現在よりも多かったとみなされている[126]。海中ではクジラ類からイルカ類が生まれ、樹上生活の真猿類の中から類人猿が現れた。偶蹄類の適応放散が進みイノシシ、ラクダ、シカ、ウシ、キリンがオーストラリアと南アメリカを除く世界中に広がった。長鼻類のマストドンも現在のゾウの分布よりはるかに広い範囲に生息した。食肉類はイヌ、ネコ、イタチ、クマがそろった他、アシカ、アザラシ、セイウチなどが生まれた[126]。この真獣類の繁栄は新第三紀後半の鮮新世にも続き、ほぼ現在見られる動物と同じタイプの生物がそろった。約350万年前にパナマ地峡ができて、それまで他の大陸から離れていた南アメリカ大陸と北アメリカ大陸がつながった[127]。それまで南アメリカで繁栄していた有袋類はオポッサムを例外として北アメリカからやってきた真獣類との生存競争に負けて姿を消していった[128]

植物界では約700万年前に新しい光合成システムを持つ植物が現れた。光合成はシアノバクテリア以来カルビン回路と呼ばれる合成方法が唯一のものであったが、低濃度の二酸化炭素を効率よく利用できるC4型光合成を有するトウモロコシサトウキビが生まれた[43]

真獣類のサーベルタイガースミロドン、体長約2m

中新世のウマ (Anchitherium) の足と蹄、指の数が3本から1本に減ってゆく状況がわかる。

中新世の長鼻類ゴンフォテリウム、上顎と下顎の両方に牙があった。化石はアジア・アフリカ・ヨーロッパ・北アメリカから見つかっている[129]

南アメリカに生息していた有袋類のティラコスミルス、体長1.2-1.7m

第四紀の気候と生物現在が氷河時代である証拠、南極大陸の氷床。NASAの衛星写真より合成

第四紀は約258万8千年前[注釈 25]から現在までの期間。第四紀には更新世と完新世が含まれる。第四紀を通じて南極大陸に氷河が存在し続けているため、第四紀は「氷河時代」である(第四紀氷河時代(英語版))。第四紀は北米やヨーロッパの大部分が氷床に覆われる寒冷な「氷期」と、現在のように比較的温暖な「間氷期」が交互に訪れ、非常に短期間に大きな環境変化が繰り返し起こった時期である。最も新しい氷期の最盛期は約1万8000年前であり、平均気温は今より6-7℃低かった[130]。第四紀の氷期と間氷期の推移の周期性を調査したところ、地球の公転軌道の離心率の変化(10万年周期)、自転軸の傾きの変化(4万年周期)、更に自転軸の歳差運動(2.3万年ないし1,8万年周期)と一致することがわかった。これらの変化によって北緯55°から北緯65°の地域[注釈 26]における夏の日射量が減ったことが氷期が始まるきっかけとなっている[131]。この氷期と間氷期の周期性はこれを数学的計算によって予言した科学者にちなんでミランコビッチ・サイクルと呼ばれている。

第四紀は人類の時代とされる。人類は樹上生活していた霊長類のうち、アフリカに住んでいた類人猿から派生した。約440万年前のエジプトの地層から類人猿と分かれて直立二足歩行したラミダス猿人の化石が日本の調査隊によって1992-1993年に発掘され、その後ラミダス猿人の亜種は約580万年前までさかのぼることが判明した。ラミダス猿人の次にアウストラロピテクス(アファール猿人)が登場する。アウストラロピテクスの化石はエチオピアや南アフリカの約250万年前-350万年前の地層から見つかっているが、骨格化石や足跡の化石から確実に二足歩行していたことが確認された。歩行から開放されたアウストラロピテクスの手は物をつかんだりする以外に、石を加工して石器を作ることができるようになった[注釈 27]。アファール猿人から2種の猿人が派生した。硬い植物を食べるために頑丈な顎を発達させた猿人と、動物食で石器を活用し脳を発達させた猿人である。前者は約100万年前にすべて絶滅してしまい、後者の系統のホモ・ハビリス(脳容積は600mlあって、チンパンジーの300-400mlよりはるかに大きい)が現在の人類に続いている。次のホモ・エレクトスは脳容積を850mlに増やし、生存場所もインドネシア(ジャワ原人約20-100万年前)や中国(北京原人約35-50万年前)に拡大した。ヨーロッパでは少し遅れて約3万-25万年前の地層からネアンデルタール人が見つかっている。現生人類のホモ・サピエンスは、ミトコンドリアDNA分析の結果から約20万年前のアフリカで生まれたとされる。ホモ・サピエンスは厳しい氷期の気候にも適応して、世界各地に生存領域を広げていった。ホモ・サピエンスは約10万年前にアフリカを出て中東に達し、北のヨーロッパへ向かったグループと、東に向かったグループに分かれた。東に向かったグループは南アジアを進み、インドネシアの島嶼伝いにオーストラリアに達し(約5-6万年前)有袋類のみの世界であったオーストラリアを改変した。インドから東へ向かったグループは中国を経由してシベリアには約2.5-3.5万年前に到達、更にベーリング海峡を渡って約1万2千年前には北アメリカに到達した[132]

ホモ・サピエンスは地上で最強の猛獣であり[133]、多くの動物を狩猟の対象とした。多くの大型動物が約1万年前に絶滅したが、丁度氷期から間氷期に移行する時期に相当し、気温の変化により植生が変わって食物等がなくなって絶滅した種もあるが、人類によって滅ぼされた種もあると見られている。最近数百年間でもドードーステラーカイギュウなどのように人類によって短期間に狩りつくされた種がある。

第四紀の哺乳類全体の傾向として、新第三紀に比べて種や個体数が減少したことがあげられる。長鼻目は一時は南極とオーストラリアを除く全世界に分布したが現在はインドとアフリカに2種を残すのみ、奇蹄類のサイも現生種は5種、同じく奇蹄類のウマ類も種数を大幅に減らした[134]

南アフリカで見つかった「ミセスPles」と名づけられたアウストラロピテクスの頭骨。

ホモ・エレクトスの頭骨、発見時はジャワ原人(ピテカントロプス)とも呼ばれていた。

ネアンデルタール人の頭骨。

現生人類ヒトの頭骨

ニュージーランドに住んでいた巨鳥モア 体長3m以上に達したが、移住してきたマオリ族によって滅ぼされた。

マンモスの復元模型、マンモスを初めとする多くの大型哺乳類が約1万年前に絶滅した。

アントロポシーン(人新世)人類の活動領域を示す、全地球の夜景詳細は「人新世」を参照

アントロポシーン(仮訳:人新世[135]: Anthropocene)はまだ公式に認められた年代ではない。オゾンホールの研究で知られるオランダの化学者パウル・クルッツェンが2000年に提唱し[136]、2002年のネイチャーに投稿した。第四紀の完新世に続く最も新しい年代(世)で、地球環境に対する人類の影響度が著しく増大した時代に相当する。農業による単一種の大量栽培、森林伐採による侵食の増大と堆積物の増加、人類の活動による動植物の絶滅、古第三紀(約5500万年前)の突然の温暖化に相当する量の温暖化ガスの放出など、人類は地球環境を大幅に改変している。このため「人新世」の考え方には意義があると捉える学者が増えている。人新世の採用の是非については2011年現在、国際層序委員会(ICS)で検討中である。人新世を採用するとしても、始まりの時期をいつに設定するかも議論が多い。提案者のクルッツェンは「産業革命により化石燃料の消費が増え、二酸化炭素の濃度上昇が氷床コアで確認される18世紀」を提案するが、人類活動による地球環境への影響は現在も増大し続けているため、「開始時期の決定は、もう少し様子を見てからのほうが良い」という案もある[137]


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