顕生代
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さらに栄養塩類の増加で増えた生物の死骸も(腐敗する前に)急速に堆積する堆積岩中に取り込まれ、その結果腐敗による二酸化炭素の発生が減って酸素が増えたことが確認されている[13]温室効果の高い二酸化炭素の大幅な減少は極端な寒冷化を引き起こし、顕生代の始まる約5億4200万年前の1億年前に、地球全体が凍結するスノーボールアース全地球凍結)事件が起こった。最後のスノーボールアース事件であるマリノアン氷河時代の年代値は約6億6500万年前から6億3500万年前と推定されている[14]。スノーボールアースが終わった後、大気中に増大した酸素を利用して多細胞生物の進化が進んだ。
単細胞生物から硬骨格多細胞生物へエディアカラ生物のデッキンソニア

生物は単細胞生物として発生しその後多細胞生物へと進化した。多細胞生物の最初の明瞭な化石として有名なのが1998年中国南部のドウシャントゥオ層上部の燐灰石中から見つかった多細胞動物の胚化石で、その最も初期のものの年代値は約6億3250万年前とされる。年代分析によれば多細胞生物が見つかったドウシャントゥオ層の直前に、地球全体が赤道部まで氷河に覆われ凍結したスノーボールアース時代があった[15]。すなわち「スノーボールアース」期間が終わった直後に多細胞生物の繁栄が始まった可能性が高いと考えられる。初期の多細胞生物はエディアカラ生物群に代表される硬骨格を待たない生物であり、活動範囲も固着生活または海底表面を這う生活であった(生物の這った痕や足跡の化石は生痕化石とされ、生物活動の重要な証拠とされる。)。ところがある時期に一斉に多数の多細胞生物が硬い殻を持つようになり、海底に穴を掘ってもぐるようになった。これが顕生代の始まりであるカンブリア紀である。カンブリア紀の示準化石はフィコデス属ペダム種(Phycodes属Pedum種)の生痕化石とされ、その年代はナミビア南部にある先カンブリア紀からカンブリア紀へ連続している地層の年代分析から約5億4200万年前とされた[16]。すなわちスノーボールアースが終わってわずか1億年弱の間に多細胞生物は硬い殻を持ち海底の泥の中にもぐるようになった。硬い殻の獲得と海底地下へもぐる行動は、いずれも強力な捕食者から身を守るための手段であったと考えられる [17]。実際カンブリア紀の地層からは当時としては強大な肉食動物アノマロカリスや、食物となる生物を捕獲するための長いノズルを有するオパビニアなどが見つかっている。
顕生代の歴史

顕生代の歴史はその地層から発掘される生物化石(主に動物化石)によって分類されている。ここで注意すべき事は「海洋生物」と「陸上生物」の化石は同じ地層から出て来ることが少ない点で、両者の時代の同時性については陸上・海洋問わずに飛散する花粉化石の分析や、大規模で特徴的な火山噴火による火山灰の分析や炭素同位体比の偏差の急変(P-T境界参照)など化石以外の手段も用いて判定される。また顕生代の年代は主に動物化石の消長によって定義されている。たとえば地上で恐竜が絶滅し哺乳類や鳥類に取って代わられ、海中でアンモナイトが絶滅した中生代新生代の境界は、現代型植物である被子植物の繁栄の始まった白亜紀初期は一致していない。
顕生代の地球環境

顕生代の地球環境について、地球外からの影響、大陸と海洋の変化および洪水玄武岩の状況について解説する。

地球外からの影響の第一として、太陽からの光エネルギー到達量がある。前記のように太陽は誕生以来徐々に明るくなってきており、顕生代において地球が受け取るエネルギー量は1億年で約1%ずつ増加している。その他の地球外要因として他の天体との衝突がある。地球には常時小さい隕石が落下しており、ごくまれに大きな隕石も見られる。地球に衝突する天体の大きさと頻度は反比例関係にあり、バリンジャー・クレーターを生成した大きさの隕石は数千年に1回程度、恐竜絶滅の原因の可能性が検討されているK-T境界(直径10-15km)レベルの衝突は約1億年に1回程度衝突すると考えられているが、現在確認されているところでは「K-T境界」の天体衝突が顕生代では最も大きなものであった[18]顕生代が始まる直前、5億5千万年前の大陸と海洋の分布、いくつかの大陸が海洋を隔てて存在する超大陸パンゲアが分裂して大西洋やインド洋が生まれ、現在の大陸分布になった。

大陸と海洋の関係については、プレートテクトニクス理論に基づいた研究によって大陸の離合集散が明らかになってきた。また非常に規模の大きな[注釈 7]洪水玄武岩と呼ばれる噴火が、顕生代にしばしば発生していることがわかってきた。大陸と海洋の配置は顕生代を通じて大きく変化したが、その変化について説明する。

原生代後期に超大陸ロディニアが形成されたがこの超大陸はすぐに分裂し、右図のような状態になった。顕生代初期にばらばらだった大陸が集まり始めた。ゴンドワナ大陸(現在のいくつかの大陸が集まっていた)と、北米大陸やバルチカ大陸(現在のヨーロッパの一部)は、広い海で隔てられていた[19]。シルル紀からデボン紀にかけて古生代の造山運動があり陸地が増加し[20]、ゴンドワナ大陸は赤道から南極まで広がっていた。古生代の後期には当時存在した全ての大陸が陸続きとなって超大陸パンゲアが形成された。古生代最後のペルム紀末の(P-T境界)にて、陸上において顕生代史上最大級の400万立方km以上の溶岩流出事件であるシベリア洪水玄武岩が発生した[21]

中生代に入るとパンゲア大陸は分裂を開始した。三畳紀末にはアフリカ大陸と南アメリカ大陸が分かれ始め、その際に割れ目に沿って洪水玄武岩の噴出があった。この噴火による玄武岩台地は割れ目となった大西洋をはさんで南アメリカ大陸とアフリカ大陸の両方に残っており、中央大西洋マグマ区(英語版)と呼ばれている[22]。ゴンドワナ大陸は分裂を続け、インド・オーストラリア・南極の各大陸が分離し始める。白亜紀の約1億2000万年前に、シベリア洪水玄武岩をしのぐ規模の洪水玄武岩の噴火が太平洋の深海底で発生した。現在オントンジャワ海台と呼ばれている玄武岩地形は面積200万平方km、噴出した玄武岩量は6000万立方km[23]または8000万立方km[24]とされているが、ほとんど全てが太平洋の水面下に存在している[注釈 8]。ゴンドワナ大陸から分かれた南極大陸は南下して南極に位置した。インド大陸は北北東へ移動してゆき、アフリカ大陸との間にインド洋が開いてゆく。白亜紀は温暖な気候と活発なマントル活動の影響で海面水位が現在より約200m上昇して[25]、陸地面積は減少した(下図参照)。約6600万年前の白亜紀最後に(K-T境界)インド大陸においてデカン高原を形成する洪水玄武岩の噴火があり、推定約100万立方kmから250万立方kmの玄武岩溶岩が噴出した[26]

新生代に入ると北上を続けていたインド大陸が約4000万年前にアジア大陸に衝突[27]ヒマラヤ山脈チベット高原の上昇が始まる。約3800万年前にオーストラリア大陸と南極大陸が完全に分離し、約2000万年前には南アメリカ大陸と南極大陸も離れて、南極大陸が完全に海で囲まれる[28]。インド大陸はアジア大陸に衝突したあとも北上を続けアジア大陸の内部に約2000kmも突入したため[29]、衝突地点のヒマラヤ山地や背後のチベット高原は、その下にもぐりこまれたインド大陸に押し上げられ隆起した[30]。隆起しつつあるヒマラヤ山脈では高山に対する激しい浸食による岩石の風化が継続している[31]。約350万年前に南北アメリカ大陸の間にパナマ地峡ができて、大西洋と太平洋が分離された。
顕生代の地質年代区分

顕生代の地質年代区分は、大きいほうからに分けられる。たとえば現在は新生代第四紀完新世とされている。代は古生代、中生代と新生代の3つある。紀は18世紀から19世紀にかけて、まとまった化石層が最初に研究された場所にちなんで命名されており、現在12種ある。下の表では第三紀があるが、現在第三紀という表現は正式には使われておらず、古第三紀(Paleogene)と新第三紀(Neogene)とされている[注釈 9]

顕生代の地質年代区分[32]年代模式地命名者および年代名前の意味
カンブリア紀イギリス、ウェールズ地方セジウィック、1835年ウェールズの古称
オルドビス紀イギリス、ウェールズ地方ラプワース、1879年居住していた部族の名
シルル紀イギリス、ウェールズとイングランドの境界マーチソン、1835年居住していた部族の名
デボン紀イギリス、デボン州マーチソンとセジウィック、1840年地名


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