顔真卿
[Wikipedia|▼Menu]
楷書作品には『顔氏家廟碑』、『麻姑仙壇記』、『多宝塔碑』、『顔勤礼碑』などがある。
多宝塔碑

『多宝塔碑』(たほうとうひ)の建碑は天宝11載(752年)。題額は徐浩の隷書、碑文は真卿44歳のときの楷書、撰文は岑による。題額の隷書は「大唐多宝塔感応碑」の8文字、碑文の初行には「大唐西京千福寺多宝仏塔感応碑文」とある。この碑は長安の千福寺に勅命により建立したもので、僧の楚金(698年 - 759年)が千福寺に多宝塔を建立した由来を記した碑である。現在は西安碑林に移されている。現存する真卿の作品の中では最も若いときのもので、後年のいわゆる「顔法」と称される風骨は未だ十分に発揮されていないが、碑字にあまり損傷がなく、旧拓もあるため楷書の手本として広く用いられている。
顔勤礼碑顔勤礼碑』(部分)顔真卿撰・書

『顔勤礼碑』(がんきんれいひ)の建碑は乾元2年(759年)と大暦14年(779年)の両説ある。真卿の曾祖父の顔勤礼の墓碑で、真卿の撰ならびに書の楷書碑である。碑高は268cm、幅は92cmの四面刻であったが、最後の銘文のあった一側面が宋代に石材として利用され削られたことが『金石録』に記録されている。碑は永く土中にあったため文字が鮮明で、技巧的に洗練されて筆がよく冴えており、「顔法」を学ぶ上に最も重要な資料である。
顔氏家廟碑

『顔氏家廟碑』(がんしかびょうひ、『顔惟貞廟碑』とも)の建碑は建中元年(780年)、真卿72歳の時の楷書碑である。篆額李陽冰の書で「顔氏家廟之碑」と3行に入れてある。真卿が父の惟貞のために廟を造り、碑を建てて顔家の履歴を自ら述べたもので、西安碑林に現存する。碑高は345cm、幅は160cmの四面刻で、両面は各24行・各行47字、両側は各6行・各行52字あり、全部で2000字をこえる力作である。碑の保存もよく、拓本も多く伝わっており、真卿の楷書の代表作である。
行書

行書に関しては楷書と異なり、書の達人として王羲之に匹敵するとされており、文句なしの賞賛を受けている。遺墨が多く残り、『劉中使帖』、『争座位帖』、『祭姪文稿』が特に有名である。
争座位帖関中本

『争座位帖』(そうざいじょう、『争座位文稿』とも)は広徳2年(764年)、真卿55歳の時の書。真卿が右僕射の任にあった郭英乂に送ったとみられる手紙の草稿(下書き)。内容は英乂が百官集会(諸官の集会)の折、座位を乱したことに対して、朝廷の権威をそこなったとして抗議したもの。『祭姪文稿』、『祭伯文稿』とともに「顔真卿の三稿」といわれた1つ。真跡は伝わらないが、西安碑林にある関中本が最も信頼できる刻本とされる。
祭姪文稿詳細は「祭姪文稿」を参照
思想

顔真卿は、儒学者として秩序を強調する古典の復興主義者であったが、時代の大勢に順応し、同時に神仙・道教・仏教の思想的影響を受けており、宋学の先駆者としてその萌芽を見出すことができる[26]
後世への影響

顔真卿の後世への影響は大きく分けて忠臣の模範としての影響と、書道における影響の2つがある。まず忠臣としての顔真卿は、文天祥の正気歌で取り上げられる古今の忠臣の一人としても著名である。幕末の日本では浅見絅斎靖献遺言に於いて忠臣の一人として取り上げられ、幕末の志士に大きな影響を与えている。[27]

書道における影響としては、顔真卿の独特な書は「顔法」として名高く、「顔法」は2011年現在でも書道教育の基本となっている。[28]また、明朝体活字は顔真卿の楷書を元にしたものである。[29]しかしながら、過去の歴史に於いては書道に於いては中国では王羲之流(院体)、日本では、王羲之流を和様化した尊円流が主流派であったため、現在のように書道の規範とまでされていたわけではない。特に楷書については米?が顔真卿を低く評価するなど、決して評価が高かったとは言えない。書道界でも顔真卿の芸術性が高く評価されるのは明治以降の尊円流全廃・教育の活字活用以降のことである。日本では長三洲が顔法の開拓者として名高い[要検証ノート]。顔真卿の影響を受けた日本の書家には、弘法大師(空海)・井上有一らがいる。空海が唐に入った頃、韓愈が王羲之を否定して顔真卿を称揚する主張を行っていたため、空海が顔真卿の書風を好んだのではないかと榊莫山は推測している。[30]
現代日本の書家・井上有一は顔真卿に傾倒しており、晩年には『顔氏家廟碑』の全臨を行っている。[31]

2019年2月に、東京国立博物館で特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」が開催された[32]台北故宮博物館から貸し出された「祭姪文稿」などを展示し、平日でも1時間以上の行列ができるほどの人気を博した[32]
著書

顔魯公文集

伝記

旧唐書』巻128

新唐書』巻153

「顔魯公行状」(『顔魯公文集』所収)

参考文献

外山軍治『顔真卿』 創元社、1964年

木村卜堂日本と中国の書史日本書作家協会、1971年

飯島春敬ほか 『書道辞典』 東京堂出版、1975年4月

深谷周道 著「顔真卿」、日原利国 編『中国思想辞典』研文出版、1984年、58-59頁。 

西林昭一・鶴田一雄 「隋・唐」『ヴィジュアル書芸術全集』第6巻、
雄山閣、1993年8月、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-639-01036-2

比田井南谷 『中国書道史事典』普及版、天来書院、2008年8月、ISBN 978-4-88715-207-6

星弘道 『顔真卿の書』 二玄社、2010年2月、ISBN 978-4-544-01396-2

吉川忠夫『顔真卿伝』法藏館、2019年。ISBN 978-4-8318-7723-9。 

関連文献

『書道芸術 第4巻 顔真卿 
柳公権』 中央公論社、普及版1979年

富田淳 監修 『王羲之と顔真卿 二大書聖のかがやき』 平凡社〈別冊太陽〉2019年

出典[脚注の使い方]^ 吉川 2019, p. 12.
^ 吉川 2019, p. 14-16.
^ 吉川 2019, p. 16-20.
^ 吉川 2019, p. 20-24.
^ 吉川 2019, p. 24.
^ 吉川 2019, p. 24-28.
^ 吉川 2019, p. 29-30.
^ 吉川 2019, p. 38-40.


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef