額賀福志郎
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政治家として内閣広報室より公表された肖像(1999年撮影)1998年9月21日ペンタゴンにてアメリカ合衆国国防長官ウィリアム・コーエン(右)と2006年1月17日、ペンタゴンにて2006年5月3日、ペンタゴンにてアメリカ合衆国国防長官ドナルド・ラムズフェルド(右)と2008年4月11日先進7か国財務相・中央銀行総裁会議にて

1978年(昭和53年)、産経新聞社を退社。同年12月、茨城県議会議員選挙に地元・行方郡選挙区から出馬し、初当選する。出馬に際しては父も後援会幹部だった橋本の支援を受けた。

1983年(昭和58年)、前回の選挙で落選した橋本の地盤を引き継ぎ、第37回衆議院議員総選挙旧茨城1区から出馬。この時は自由民主党の公認を得られず無所属で出馬したが、党茨城県連の推薦を受けて4位で初当選し、追加公認を受けた。当選後はかつて番記者を務めていた田中派に所属するが、竹下登が派を割る形で創政会を結成した際はいち早く竹下の下に馳せ参じた。

1997年(平成9年)、第2次橋本改造内閣内閣官房副長官に起用される。

1998年(平成10年)、小渕内閣防衛庁長官に任命され初入閣するが、防衛庁調達実施本部背任事件をめぐって同年10月16日参議院で額賀に対する問責決議案が可決され(当時自民党は参院で単独過半数を占めていなかったため)、11月に防衛庁長官を辞任に追い込まれた。なお、このスキャンダルをめぐり多くの防衛庁幹部が引責辞任したため、額賀は当時防衛施設庁施設部長だった守屋武昌を、防衛庁長官官房長に抜擢している。

1999年(平成11年)、小渕再改造内閣で再度官房副長官に就任。

2000年(平成12年)、第2次森改造内閣で経済企画庁長官に任命され、2度目の入閣。

2001年(平成13年)1月の省庁再編により、初代経済財政政策担当大臣に就任する。しかしKSD事件をめぐり、KSDから1500万円の献金を受領していたため、2度目の閣僚辞任を余儀なくされる。

2001年の小泉純一郎自由民主党総裁就任後、小泉によって「抵抗勢力」の代表格とされた橋本派は厳しい立場に追い込まれるが、額賀自身は2003年(平成15年)に自由民主党政務調査会長に起用されている。政調会長時代には、自民党政権の聖域であった税制調査会の改革に踏み切り、長老クラスの税調メンバー(インナー)による非公式幹部会の廃止を要請したが、すぐに事実上の復活をしたため掛け声倒れに終わったと評された。

2005年(平成17年)には第3次小泉改造内閣で再度防衛庁長官に任命される。この間、派内のライバルであった鈴木宗男が汚職で、藤井孝男郵政民営化法案採決での造反により離党したため、橋本派を引き継いだ津島派で唯一、総裁候補に目される存在になった。2005年(平成17年)10月31日 から2006年(平成18年)9月26日まで防衛庁長官を務めた。防衛庁長官在任中の2006年(平成18年)春に普天間基地移設問題についてキャンプ・シュワブ沿岸部V字滑走路建設案を名護市長と合意した。

防衛庁長官在任中の2006年1月30日に防衛施設庁談合事件、退任のちの2007年10月19日に山田洋行事件が発覚し、ポスト小泉をめぐる2006年自由民主党総裁選挙への出馬にも意欲を見せていたが、久間章生らの反対により立候補を見送った。

2007年(平成19年)、安倍改造内閣財務大臣に任命される。額賀は経済企画庁長官や経済財政政策担当大臣を務めた経験があるが、財務省にはあまり縁がなかったため、額賀の財務相起用は財務省からもやや意外性をもって受け止められた。しかし、安倍は内閣改造後間もなく突然辞意を表明し、額賀は「私は先頭に立つつもりです」と、安倍の後継総裁を選出する2007年自由民主党総裁選挙への出馬を示唆した。

ところが福田康夫の出馬が伝えられると、津島派の石破茂船田元は福田を、また鳩山邦夫久間章生は同じく出馬を表明していた麻生太郎幹事長への支持を表明したため、額賀自身は福田と政策協定を結ぶ形で出馬を断念した。福田康夫内閣でも財務大臣に再任され、翌年の内閣改造に伴い退任。福田首相辞任に伴う2008年自由民主党総裁選挙では、津島派から石破が出馬する一方、前参議院議員会長の青木幹雄与謝野馨を支持した。

2009年(平成21年)8月の第45回衆議院議員総選挙では、当初は茨城2区民主党候補者の選定が遅れたため額賀の優勢が伝えられていたが、民主党新人の石津政雄に敗れ、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活して9選。


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