音楽史
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コンスタンティノス5世ギリシア語:Κωνσταντ?νο? Ε? ? Κοπρ?νυμο?, K?nstantinos V ho Kopr?nymos)による教会オルガンの導入。
9世紀

レアム、アウレリアヌスの「音楽論」[注 7]
10世紀

フランス、フルリーでの復活祭で「クエム・クエリティス」[注 8]
11世紀

アレッツォ、グイドの「ミクロログス」[注 9]
12世紀

ルカス[注 10]タラゴーナ大聖堂でポリフォニー(オルガヌス)を組織して活動。
13世紀

ケルンのフランコによる「計量音楽論」
14世紀

ギヨーム・ド・マショーのミサ曲「ダヴィデのホケトゥス」(Hoquetus David)[注 11]、モテット「幸福なる乙女」
ルネサンス期の音楽詳細は「ルネサンス音楽」を参照

ルネサンス音楽は、ヨーロッパにおける15世紀から16世紀ルネサンス期の音楽の総称である。イギリスのジョン・ダンスタブルがヨーロッパ大陸にイギリス独特の3度・6度の和音を伝え、それが中世後期のアルス・ノーヴァの音楽やトレチェント音楽と統合されることによって始まった。宗教音楽では3度和声によるポリフォニーが発展し、ドイツ語圏ではコラールが生まれた。世俗音楽では宮廷音楽が見られ始める。また舞曲が流行した。
バロック音楽詳細は「バロック音楽」を参照

バロック音楽は、ヨーロッパにおける17世紀初頭から18世紀半ばまでの音楽の総称である。ルネサンスの静的なポリフォニー音楽に対し、16世紀末のフィレンツェカメラータで感情の劇的な表現のためにモノディが考案され、オペラが誕生した。宮廷音楽が発展し、多くの器楽作品が書かれた。教会旋法は長短の調に整理され、また舞曲に起源のある拍子が明確になった。またバロック時代を通じ、通奏低音による伴奏が行われた。
古典派音楽詳細は「古典派音楽」を参照

バロック音楽は1750年代以後に古典派音楽の潮流に取って代わられる。この古典派の時代に活動していた音楽家には交響曲の父として知られるハイドン、『フィガロの結婚』などを作曲したモーツァルト、『運命』や『第九』などを作曲したベートーヴェンなどがいる。均整・調和を理想とする古典主義に基づき、調和の取れた構成の形式美を追求したため、一本の旋律に和声で伴奏づけする単純・明快・論理的な様式が好まれ、対位法はあまり使われなくなった。
ロマン派音楽詳細は「ロマン派音楽」を参照

ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽。古典主義が重視しなかった感情・感覚・直感などを重視するロマン主義に基づく。技法的には古典派の調性や和声を引き継ぎつつも、半音階や遠隔調への転調を多用し、より表情豊かな表現が追求された。長大な作品も多いが、性格的な小品も多い。多くのヴィルトゥオーソが生まれた。表現の基礎としての詩情や、文学と音楽の混交も重視された。音楽以外の芸術でのロマン主義運動は1780年代から1840年代までとされるが、ロマン派音楽は19世紀を通じて続いたとされる。

1850年代以降になると、ヨーロッパ各国でそれぞれの民族音楽や固有の言語と結びついた音楽様式がはっきりしてくる。特にドイツ・オーストリアの、拡大・拡張路線を推し進めた音楽はヨーロッパ全土に広く影響を与え、「後期ロマン派」と呼ばれる。その他、ロシア・チェコ・北欧諸国などでも、各国の民族主義と結びついた形で各国の音楽様式が生み出され、「国民楽派」と呼ばれる。
国民楽派詳細は「国民楽派」を参照

19世紀当時のナショナリズムの高まりから、ロマン派音楽の一潮流としてロシアの五人組、北欧のグリーグチェコドヴォルザークなどが活躍するようになる。一般的にはこれらを国民楽派と呼ぶが、少し遅れてスペイン、さらに遅れて中南米・ハンガリー・ルーマニア・アメリカでも同様の民族主義的傾向の音楽が見られる。

フランスでは国民楽派と同時期に国民音楽協会が組織され、民族主義的な音楽が追求され、印象主義音楽の土壌となっており、またブラームスは民謡への関心を示し、同様に民族主義的傾向を見せている。ドイツ・イタリア・フランスは音楽の中心地と見なされ、周辺部の現象とされる国民楽派の呼称は使われないが、同時代現象と見なすのは容易であろう。
近代・現代音楽詳細は「近代音楽」、「現代音楽」、および「20世紀のクラシック音楽」を参照

20世紀以降の音楽のうち、西洋クラシック音楽の流れをくむものを指す。


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