韓国光復軍
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

このような経緯から光復軍は戦闘の実績がほぼなく、インド・ビルマ戦線に光復軍工作隊[29](9名[1])を派遣して朝鮮系日本兵の投降を呼びかけてイギリス軍に協力したことが、数少ない実績であった。
終戦後

終戦後、光復軍は駐華代表団直属となり、団長の朴賛翊と司令官の李青天は、朝鮮人日本軍兵士の光復軍編成及び帰国問題、各地の韓僑について協議した[30]。各地に幹部を派遣し、日本軍及び満洲国軍の朝鮮人兵士の編入と韓僑の保護を行った。北京では申鉉俊李周一朴正煕、尹映九(日本軍学徒兵)が駐北平弁事処長の崔用徳によって第3支隊に編入され、それぞれ平津大隊長、第1、2、3中隊長となっている。

また李範?は光復軍を代表してOSSの使節に同行してソウルに赴き、米軍進駐に立ち会った。1945年11月13日からアメリカに後に設置する軍事組織以外の私兵組織は解体命令が出され[31]、1946年1月9日、光復軍を含む全ての準軍事組織は、ソウルのアメリカ軍政政府の命令によって武装を解除することになった。

解散した光復軍は帰国の途に就き、天津から朝鮮に船で渡った。これはアメリカ軍政庁が光復軍を軍隊として認めず帰国を許可しなかったためで、元光復軍兵士は、個人の資格でばらばらに帰国することになった[32]。さらに帰国後も彼らは国軍となることを期待していたが、これも認められず、自壊作用を起こして一つの勢力になることは無かった[32]。朝鮮半島南部に到着して光復軍は解体された[31]

李承晩派、金九派、金元鳳派、李青天派などいくつかの派閥に分かれた。李承晩派であった李範?は国務総理・兼国防部長官となったが、金元鳳ら左翼(義烈団派)は越北して北朝鮮に加わった。詳細は「金元鳳」を参照

結成から解体まで日本軍とは交戦は無かったものの、終戦頃(1945年4月)で、日本軍満洲国軍出身者を含めて339人いたと認定されている[2]。しかし、アメリカの資料では光復軍は中国国民党軍の中の一組織で200未満と記されている。

2014年5月、韓国は、光復軍第2支隊の所在地だった西安市にその活動を称える記念碑を設置した。

2015年、北朝鮮の対南宣伝媒体である『わが民族同士』は、光復軍は戦後に越北した金元鳳が主導していた蒋介石の中華民国傘下の右派武装団体であり、韓国が僅かな人員しかいなかったこと光復軍が「祖国解放の結果を導いた」と主張していることを「自画自賛・美化を越えた完全な歴史歪曲だ」と批判した[33]
階級

光復軍は、創設時は武官と兵員に分けられ、武官は将官・領官・校官・下士にそれぞれ正・副・参の等級があり、兵員には一等・二等・三等であったが1944年10月23日の国務会議により校官は尉官に、兵員は上等・一等・二等に変更された[8]
各部隊の活動
第1支隊

第1支隊は軍事特派団員を中心に編成された[34]。支隊長は李俊植、幹部は盧泰俊、安椿生、盧福善、趙仁済、李錫華、金紫東、李建佑、李英如であった[34]。李俊植と盧福善は1939年11月に軍事特派団員として派遣され、盧泰俊、安椿生、趙仁済は中国軍を除隊して参加し、李錫華、金紫東、李建佑、李英如は西安で軍事特派団に加わっていた[35]。構成員のほとんどが中国各地の軍官学校を卒業し、満州の朝鮮革命軍で活動したり、中国軍に服務した経歴を持っており、彼らを基礎要員として第1支隊が発展していく予定だった[35]

第1支隊発展のため、兵力拡大が課題であり、召募活動を通じて為さなければならなかった。召募活動は軍務部が主管し、第1支隊は徴募処第1分処となり、1941年3月に幹部全員が山西省に進出、臨汾を中心に召募活動を展開した[36]

山西省は中国軍第2戦区の管轄地域で、第1分処は第2戦区司令官の閻錫山の協力の下、山西省大同を拠点として敵占領地域である太原石家莊などを中心に召募・宣伝活動を展開した[37]。この活動は1942年4月の支隊改編まで続いた。

1942年、朝鮮義勇隊の編入を契機に光復軍の全面的な改編が行われ、第1支隊は第2、5支隊と統合され、新たに第2支隊となった。

1942年7月、編入された朝鮮義勇隊で第1支隊が編成。光復軍に編入された義勇隊隊員は重慶にいた40名(中国人5名含む)と宋旭東、于自強、胡建(金在浩)、黄民(金勝坤)、李海鳴、金尚徳、金仁哲、金俊、李斗山など各地に派遣されていた工作隊員や華北移動時に脱出した者を含めて約50名であった[38]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:154 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef