韓国光復軍
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兵員を確保できなかったため、総司令部だけを組織した[9]。創設時の編制について明確に知られていないが、8月15日付で発刊された「大韓民國臨時政府広報」によれば、総司令に李青天、参謀長に李範?、参謀に蔡元凱、李復源、李俊植金学奎、公震遠、副官に黄学秀、王仲良、趙時元、伝令将校に高一鳴と兪海濬、主計に安勲、金毅漢、李象萬、閔泳玖、軍医に劉振東、林義澤、厳益根が就任する予定であった[9]

1940年10月、「韓國光復軍總司令部組織條例」が公布され、これによれば総司令部は司令官と参謀長を中心に秘書処(処長:崔用徳)、参謀処(処長:蔡元凱)、副官処(処長:黄学秀)、政訓処(処長:趙フ韓)、管理処、編練処(処長:宋虎聲)、砲工兵処、経理処(処長:趙フ韓)、軍法処、衛生処(処長:劉振東)の10個処からなり、特務隊と憲兵隊を置くとした[9]。一応の組織体制を確立したが、組織を運営する人員がいなかった[9]。10個処のうち7個処にしか責任者が居らず、そのうち崔用徳、蔡元凱、宋虎聲はこの時点では中国軍に勤務しており、趙フ韓は政訓処と経理処を兼任していた[9]

1940年11月、総司令部は西安に移転[9]。李青天総司令と李範?参謀長は中国との協議のため重慶に残り、黄学秀を総司令代理とする西安総司令部暫定部署を組織し、西安に派遣した[9]。西安総司令部暫定部署は華北地区移住の朝鮮人を対象に兵士募集活動を展開した[10]

総司令部が西安に移動するのと同時期に3個の支隊を編成した[9]。第1支隊(支隊長:李俊植)、第2支隊(支隊長:公震遠)、第3支隊(支隊長:金学奎)の3個支隊編制であった。

1941年1月1日に、韓国青年戦地工作隊が光復軍に編入[11]。韓国青年戦地工作隊は第34集団軍と連携して1940年末の時点で100余名の隊員を確保しており、戦地工作隊の編入とそれに伴う第5支隊(支隊長羅月煥)の編成は光復軍が初期に収めた最も大きな成果だった[12]。第5支隊は戦地工作隊で行っていた徴募活動をそのまま引き継ぎ、4個支隊の中で最も兵力を確保して光復軍の主力部隊に発展していった[13]

当初は中国政府は援助に熱心ではなかったが、1941年11月に軍事委員会から臨時政府に対して『韓国光復軍行動規則九箇条』を提案した[14]。提案が受け入れられた後、軍事委員会は多くの中国人将校を光復軍の総司令部と各支隊に派遣して強化した[14]。終戦直前には総司令部将校56人のうち、派遣された中国人将校は43人を占めた[14]。また10個処あった総司令部は参謀処、総務処、政訓処の3個に縮小して副司令と副参謀長を増設し、1942年10月に西安から重慶に移転した[9]

1942年3月1日、第5支隊長の羅月煥が暗殺。暗殺容疑で隊員など20余名が逮捕され、このうち朴東雲、李何有、金東洙、李海平、李道淳、高如順、金松竹、金容珠ら8名が死刑または懲役刑を宣告された[15]。羅月煥と彼らは徴募活動と教育訓練を通じて第5支隊を発展及び運営していた中心人物であり、この事件で幹部を全て失ったことにより、第5支隊の活動はほぼ麻痺状態に陥った[16]。暗殺から1か月後の4月1日に第5支隊は既存の第1、2支隊と統合し、新たに第2支隊を編成した[16]

1942年5月、朝鮮義勇隊が光復軍に編入して第1支隊に改編された[17]

なお、アメリカ政府の国務省公式歴史記録(1945年2月5日付)によれば、極東局長ジョセフ・ウィリアム・バランタインが?介石の国民党政府要人邵毓麟(中国語版)と面談したときのこととして、当時中国重慶には2,000名もの日本軍の朝鮮人部隊(朝鮮人日本兵)捕虜が存在し、これらが韓国光復軍と地下工作員の訓練に協力していたという[18]。邵はアメリカ軍から韓国光復軍へ武器供与をできないかと尋ねているが、バランタインは国防省が回答すべきこととして否定的な発言をし、独立運動よりも個人的な利益と野心の実現に熱心な韓国人(朝鮮人)リーダー達の態度を問題視していた。邵も実際に朝鮮半島に潜入してみて、リーダー達の嫉妬と協力体制の欠如を目の当たりにして、中国での活動との協力の必要を説いたという[19]
終戦まで

1941年12月8日真珠湾攻撃が起きてアメリカが参戦すると、中国は対日宣戦布告を行い、連合軍の一員となりたかった臨時政府も12月10日対日宣戦布告をしたが、これは日本政府に布告文書は通達されておらず、実効性は無かった。


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