韓国光復軍
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一方、光復軍は中国に派遣されていたアメリカ戦略事務局(OSS、のちの中央情報局)と協約を結んで特務工作訓練(イーグル・プロジェクト、Eagle Project、??? ??)を始動させ、3月にアルバート・ウェデマイヤー中国戦区司令官の最終承認を得た[24]。当時、朝鮮人学徒陸軍志願兵制度の実施で朝鮮青年が日本軍に編入され南洋群島と中国戦線に配置されていたが、張俊河らその一部が日本軍を脱出して光復軍に参加。5月1日から8月4日まで西安で3か月間の特殊工作訓練を受けた[25]。これらを山東からアメリカ潜水艦に乗せて朝鮮本国に潜入させて、朝鮮国内の要所を破壊・空港を占領した後にアメリカ軍の飛行機で更なる物資を運び込み、武装蜂起を促すという計画で、張俊河ら45人が選定された[26]

1945年8月初め、光復軍のこの国内進入作戦について、金九とドノバン大佐(OSS長官)は同意したが、この作戦計画を実践に移す直前に日本が降伏した。また同じ頃、参謀長金弘壹が?介石と交渉して武漢奪還作戦に光復軍が参加することを計画していたが、これもご破算となった[27]。イーグル・プロジェクトは10月1日に正式に解体された[28]

このような経緯から光復軍は戦闘の実績がほぼなく、インド・ビルマ戦線に光復軍工作隊[29](9名[1])を派遣して朝鮮系日本兵の投降を呼びかけてイギリス軍に協力したことが、数少ない実績であった。
終戦後

終戦後、光復軍は駐華代表団直属となり、団長の朴賛翊と司令官の李青天は、朝鮮人日本軍兵士の光復軍編成及び帰国問題、各地の韓僑について協議した[30]。各地に幹部を派遣し、日本軍及び満洲国軍の朝鮮人兵士の編入と韓僑の保護を行った。北京では申鉉俊李周一朴正煕、尹映九(日本軍学徒兵)が駐北平弁事処長の崔用徳によって第3支隊に編入され、それぞれ平津大隊長、第1、2、3中隊長となっている。

また李範?は光復軍を代表してOSSの使節に同行してソウルに赴き、米軍進駐に立ち会った。1945年11月13日からアメリカに後に設置する軍事組織以外の私兵組織は解体命令が出され[31]、1946年1月9日、光復軍を含む全ての準軍事組織は、ソウルのアメリカ軍政政府の命令によって武装を解除することになった。

解散した光復軍は帰国の途に就き、天津から朝鮮に船で渡った。これはアメリカ軍政庁が光復軍を軍隊として認めず帰国を許可しなかったためで、元光復軍兵士は、個人の資格でばらばらに帰国することになった[32]。さらに帰国後も彼らは国軍となることを期待していたが、これも認められず、自壊作用を起こして一つの勢力になることは無かった[32]。朝鮮半島南部に到着して光復軍は解体された[31]

李承晩派、金九派、金元鳳派、李青天派などいくつかの派閥に分かれた。李承晩派であった李範?は国務総理・兼国防部長官となったが、金元鳳ら左翼(義烈団派)は越北して北朝鮮に加わった。詳細は「金元鳳」を参照

結成から解体まで日本軍とは交戦は無かったものの、終戦頃(1945年4月)で、日本軍満洲国軍出身者を含めて339人いたと認定されている[2]。しかし、アメリカの資料では光復軍は中国国民党軍の中の一組織で200未満と記されている。

2014年5月、韓国は、光復軍第2支隊の所在地だった西安市にその活動を称える記念碑を設置した。

2015年、北朝鮮の対南宣伝媒体である『わが民族同士』は、光復軍は戦後に越北した金元鳳が主導していた蒋介石の中華民国傘下の右派武装団体であり、韓国が僅かな人員しかいなかったこと光復軍が「祖国解放の結果を導いた」と主張していることを「自画自賛・美化を越えた完全な歴史歪曲だ」と批判した[33]
階級

光復軍は、創設時は武官と兵員に分けられ、武官は将官・領官・校官・下士にそれぞれ正・副・参の等級があり、兵員には一等・二等・三等であったが1944年10月23日の国務会議により校官は尉官に、兵員は上等・一等・二等に変更された[8]
各部隊の活動
第1支隊

第1支隊は軍事特派団員を中心に編成された[34]。支隊長は李俊植、幹部は盧泰俊、安椿生、盧福善、趙仁済、李錫華、金紫東、李建佑、李英如であった[34]。李俊植と盧福善は1939年11月に軍事特派団員として派遣され、盧泰俊、安椿生、趙仁済は中国軍を除隊して参加し、李錫華、金紫東、李建佑、李英如は西安で軍事特派団に加わっていた[35]


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