鞆の浦埋立て架橋計画問題
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L.鞆の浦歴史民俗資料館の駐車場前を通過し市道を抜けると海岸線に抜ける。左側の家屋が坂本龍馬宿泊跡

M.画像Lの交差点に出た様子。この交差点が県道22号の終点と県道47号の始点である。この付近の道路は広い為、多くの乗用車が海岸側に駐停車している。なお中央の建物は福山市役所鞆支所が入居している。

N.M地点から進んだ仙酔島に渡る福山市営渡船の桟橋

O.鞆港と鞆港バス停。県道47号は右折することになる。計画では、ここから先に架橋する予定である。なお鞆港から常石方面に向う路線バスはマイクロバスを使用している。

P.画像Oの画像から右折したところ。この先の道が狭い為一方通行になっている。画面左側公衆便所前に県が設置した架橋計画を宣伝する看板が設置されている。この先を直進すると画像Kの交差点に戻る。

年表

埋立て架橋計画をめぐる年表[4]北側から臨む。常夜灯の背後に架橋される予定。東側から予定地を臨む。画面左端の道路を中央の常夜灯付近まで海岸沿いに延長し、撮影位置まで橋で結ぶ。

1983年12月 広島県が鞆港4.6ヘクタールを埋め立て、架橋する港湾整備計画を策定。

1995年3月 歴史的町並みとの調和を図るとして埋め立て面積を2.3ヘクタールに縮小

1998年5月 広島県教育委員会が鞆港で焚場(たでば)[注 2]跡を確認

2000年2月 焚場跡保存の為、埋め立て面積を2ヘクタールに縮小

2003年9月 埋め立て免許に必要な排水権者全員の同意取り付けを福山市が断念。広島県も計画凍結

2004年7月 福山市長に鞆町出身で福山市職員労働組合が押す市助役の羽田皓が当選。計画推進を表明。

2005年1月 市長が国土交通省を訪問し、事業推進を要望。

2005年2月 国土交通省から県に排水権者全員の同意を得られない場合の推進のための法解釈を回答。

2007年1月 計画推進派住民が期成同盟会の決起集会を開催

2007年3月 映画監督の大林宣彦らが計画反対の全国組織を結成。地元反対派住民も統一組織を結成。

2007年4月 反対派住民が広島地方裁判所に埋め立て免許差し止め訴訟を提訴。

2007年5月 広島県と福山市が藤田雄山県知事に埋め立て免許を出願。

2007年9月 免許差し止め訴訟の原告が、免許の仮差し止めを広島地方裁判所に申立て。

2007年12月 福山市は広島県からの意見照会に対し埋め立てに異論はないと回答。

2008年2月 広島地裁が仮差し止めを却下

2008年6月 広島県が国土交通省に埋め立て認可を申請

2008年8月 羽田市長が再選。計画推進が支持されたと表明。

2008年10月 免許差し止め訴訟の担当裁判官が現地を訪問。反対派団体が不認可を求める約10万人の署名を国土交通省に提出

2009年1月 金子一義国土交通大臣が、認可には国民合意や反対派との対話が必要であると表明。

2009年2月 免許差し止め訴訟が結審

2009年8月 福山市は架橋計画実施を前提にした「まちつくり整備方針」案の地元説明を開始。

2009年10月 広島地裁は原告の景観利益を認め免許差し止めを命令。被告の広島県は広島高等裁判所に控訴。前原誠司国土交通大臣は、広島県が申請している埋め立て免許の認可を当面見送ると表明[4]

2009年11月 イコモス会長が鞆を視察、湯崎英彦県知事が計画見直しを示唆。

2012年6月22日 湯崎知事、架橋計画の中止と山側にトンネルを掘削して道路整備する意向を固める。

2016年2月15日 広島高裁で開かれた控訴審口頭弁論で原告側住民が訴えを取り下げ、広島県は埋め立ての免許交付申請を取り下げる意向を示し、訴訟が終結した[1]

計画の概要

現在の計画は2004年に策定されたもので、「埋立て架橋案」、「山岳トンネル案」、「埋立て沈埋トンネル案」の3つの案が比較され、鞆地区の活性化や生活環境の整備に最も効果が高いと評価して、「埋立て架橋案」が選定された。これに対し反対派は対案として「山側トンネル案」を主張している。
埋立て架橋案

埋立て架橋案は福山市が埋立て沈埋トンネル案や山岳トンネル案と比較検討した結果、鞆地区の活性化や生活環境の整備に最も効果が高いと評価しており、この案に基づいた計画の実現を目指している。

この案は港の西側約2ヘクタールを埋め立て道路を通すと共に公園や駐車場を設置して災害発生時の避難場所としての機能も持たせ、この埋立地と港の東側とをコンクリート橋で結ぶことになっている。事業費は港湾の整備費を含め約55億円とされている[注 3]

しかし、この計画では必然的に旧来の海岸線にある「常夜灯」や「雁木」の前に橋が立ちはだかり、また、近世の船舶修理施設であった「焚場(たでば)」(干潮時しか姿を表さない)跡の約2割が破壊されるなど、景観・文化財に影響を及ぼすことは避けられない。そのため、イコモスは「世界遺産に値する景観価値が破壊される」などとして計画の再考を要請している[5]。これに対し福山市は埋立地の護岸を雁木構造で行うなど周囲の歴史的景観には配慮しており、町内の交通混雑解消や下水道など生活基盤の整備、観光業や漁業などの産業振興に取り組み、人口の定着を図ることが重要であるとしている[6]。また羽田市長は橋の形状については景観と調和できるものに再考するとしている。
山側トンネル案

山側トンネル案は鞆市街を避けた山側にトンネルを掘りバイパスとするプランである。この案は「山岳トンネル案」として埋立て架橋案と共に検討されたが、地域の活性化や市街地とのアクセスの点で劣るとして採用されなかった。埋め立て架橋反対派は架橋では景観の破壊により観光への影響が懸念されることに加え、市街に大型車両が流入して沿線の生活環境が悪化すること、緊急車両は小型な車両を導入することで対応できるとして、この案をベースとして駐車場などを整備した「山側トンネル案」を実現を求めている[7]。しかし、架橋推進派からは、トンネル案では鞆町中心部からバイパスに速やかにアクセス出来ないとの指摘がなされている。

トンネル案は工期が埋め立て案の約10年に対し約5年と半分程度で、費用も架橋案の約55億円に対し約50億円と5億円ほど安く抑えられるメリットがあるとされているが、市側はトンネル設置に伴う家屋移転や現道交差点の改良に相当の期間が必要で、費用も港湾整備に別途30億円が必要であるためむしろ割高であると主張している[8]
埋立て沈埋トンネル案

埋め立てをするが架橋の替わりに沈埋トンネルを用いる案も検討されたが、これは工期・費用共に他のプランに劣り景観への影響もあることから、架橋推進派、反対派の双方から否定的に評価されている。
計画に対する賛否推進派住民が鞆港の西側堤防上に設置している「生活権優先」の看板鞆港の雁木(がんぎ)

埋立て・架橋による鞆港の改変によって、和歌山市和歌浦のように景勝地としての価値を損ね観光客の減少を招く可能性があるとして、この計画に対して主に鞆の浦の歴史的景観の保全を求める立場の人々から反対の声が上がっている。この運動には大林宣彦宮崎駿らの著名な文化人や研究者も加わり、2007年に「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されたことや、宮崎駿が映画『崖の上のポニョ』の構想のために長期滞在したことなどから、全国的な関心を集めた。

地元鞆地区住民の間では、道路整備を求める声が多数を占めている。福山市が2006年6月に発表した意見の集計によると、鞆町の9割を超える住民が埋め立て計画を支持している。ただし、市民団体は旧鞆町内(現在の鞆町より広範囲の地域[注 4])住民の3割弱の整備反対署名を集めた ⇒[1]としており、その割合については見解が割れている。とはいえ、2008年10月に首都大学東京の調査グループが行った住民意識調査でも約65%の住民が架橋に対して肯定的である[9]など、何れの調査でも地元住民の過半数が計画を支持する結果となっている。また、福山市民全体では評価が割れる結果となっている[10]

地元住民の多くは景観よりも生活の優先を訴え埋め立て架橋の早期実現を要求しており、町内各所に計画推進を求める看板を掲げている。しかし、計画に反対する意見も根強くあり、地元商店を中心に建設後の景観破壊を示す予想イラストなどが掲示されている。

国際記念物遺跡会議(イコモス)は「港を跨ぐ道路橋建設の提案が町の本質的な価値を破壊する」として、2005年と2006年に事業の中止を勧告している。羽田福山市長はイコモスの要請に対し「架橋反対の錦の御旗として、部外者や地元の少数の人によってつくられたと感じざるを得ない」と発言し[11]藤田雄山広島県知事は「人が住んでこその鞆の町で、無人の町に価値はない。」「部外者の学者の意見を聞く必要はない。」と発言するなど[12]、否定的な見解を示している。


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