古代ギリシャ以降も、無数の「平行線公準の証明」が生まれたが、多くはプトレマイオスと同じ過ちを犯していた。しかし、その結果として無数の「平行線公準と同値な命題」が作られた。
ジョバンニ・ジローラモ・サッケーリは、1773年、論文「あらゆる汚点から清められたユークリッド」 (Euclides ab Omni Naevo Vindicatus) において、鋭角仮定・直角仮定・鈍角仮定という互いに背反かついずれかは成立するような仮定を設定し、直角仮定から平行線公準を導けることを示した。
同論文の定理9および定理15により、各仮定をより分かりやすく言い換えるなら次の通りである。
鋭角仮定
三角形の内角の和は2直角よりも小さい
直角仮定
三角形の内角の和は2直角に等しい
鈍角仮定
三角形の内角の和は2直角よりも大きい
サッケーリは、鈍角仮定および鋭角仮定は矛盾を生じると主張したが、その証明に於いてはやはり平行線公準に依存する命題を使ってしまっており、証明としては正しくなかった。しかしながら、上の3つの分類はその後の非ユークリッド幾何学の構築に大きな役割を果たした。
またヨハン・ハインリッヒ・ランベルトも1766年執筆の論文「平行線の理論」に於いて同様の主張をしている。この論文は1786年に発見された。
カール・フリードリヒ・ガウスは、1824年11月8日の手紙に於いて、鋭角仮定のもとで整合的な幾何学が成立する可能性を示唆し、そこにはある定数があってこれが大きいほど通常の幾何学に近づくと述べた。
ガウスの言うある定数とは、現代の言葉で言えば空間の曲率 k に対し、 -(1/k) のことである。ガウス個人は非ユークリッド幾何の存在を確信していたと見られるが公表はしていない。 ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた双曲幾何学のモデルを構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。 ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学 (Σ) 、および平行線公準の否定を仮定した幾何学 (S) を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。 ベルンハルト・リーマンはリーマン球面と呼ばれる楕円幾何学のモデルを構成した。 あわせて4人が3通りの方法を発見した。その結果をまとめると以下のようになる。 なお、ここでは曲がった面上や空間内の「直線」は二点間の最短距離を実現する曲線(つまり測地線)を指すのであって、まっすぐな線のことではない。さらに、平行線は絶対に交わらない二本の直線であって、同角度に伸びている線を意味しない。 研究結果結論楕円幾何学ユークリッド幾何学(放物幾何学)双曲幾何学 楕円・放物・双曲の各幾何学は、互いに他を否定する存在ではなく、いわば並行に存在しうる幾何学であることを注意しておきたい。各幾何は、それぞれ他の幾何の中に(少なくとも局所的には)モデルを持ち、したがって互いに他の体系の正当性を保証することになるからである。 特に楕円・放物・双曲の各幾何学はユークリッド幾何学の上にモデルが作られる。よって理論Tに対してTが無矛盾であることとTのモデルが存在することは同値というよく知られた事実により、「ユークリッド幾何学が無矛盾な体系であれば他の幾何学も無矛盾」ということがわかる。 ここでらユークリッド幾何学の無矛盾性は実数体の理論の無矛盾性に帰着されることを注意しておく。
非ユークリッド幾何学の成立
平行線の数0本1本2本以上
代表的なモデルリーマン球面ユークリッド平面擬球面
幾何学の相補性
脚注[脚注の使い方]^ 慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション 2021年9月30日閲覧https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/incunabula/025
^ 楠葉隆徳「<論考> アラビア語とサンスクリット版ユークリッド『原論』にみる三平方の定理 (経済学部特集号: 本多三郎教授退職記念号)