青野武
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育ての父は建具指物師だったが、飲んだくれで母を泣かせていた[13][15]。家計は苦しく、その日その日を暮らしていくのが精一杯だったという[13]。妻は女優の板橋真砂子[8]。夫婦そろっての映画ファンであり、妻は『SCREEN』の愛読者[19]。女優の板橋七生は妻の妹[9]。娘がいる[2]

特技はジョギング[10]で、36歳くらいから60歳少し前まで約20年間していた[17]。58歳くらいになったある時、タバコを吸っていた影響で体力が落ちており、つらくてつらくてしかたなかった[17]。そうしていたところ、妻が「あなた、もう年なんだから歩けばいいじゃない」と言われ、ウォーキングに切り換えた[17]。体力作りのために、朝、仕事がない時は、だいたい8キロから10キロくらいウォーキングをしていた[17]。趣味は野球[31]競艇[16]

座右の銘はウィリアム・スミス・クラークの「少年よ、大志を抱け(Boys Be Ambitious)」を挙げており、幼い頃からこの言葉をことあるごとに聞いて育った[6]。役者を目指して上京したが、挫折して夢を断念しそうになった時、この言葉を聞いて頑張っていたという[6]
特色・役柄

声種バリトン[27]。役柄としては悪役や落ち着いた老人役[6]を初め、ひねった役、異常者の役、ハイテンションな役などを演じることが多かった[17][19]。本人も「悪役や様々な感情を演じられる役は演じていて面白い」とも発言している[32]

20代の頃は、5役も6役も端役を演じていたことからちょい役を演じていた[17]。5役なら5役きた時に、たとえばおじいさん役ならおじいさん役で、本当におじいさんになるように向こうの絵のようになるように心がけていた[17]。こっちの若い人物は、若い人物の声に完全に分けるようにしており、それをすれば、きっと「あ、こいつ、こういうふうなこともできるのか」と思われるだろうと、思ったという[17]。そういうのを自分で決めて、5役なら5役全部変えて、「これでもか!」という、そういうつもりで演じていた[17]。そしたか、そのうちに「こいつ、フケも結構やるな」のようなことで、ちゃんとした役で、当然ダブリだが、フケなど、そういうのも演じるようになった[17]。その後、30半ばくらいで『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王役のような異常な役を演じるようになった[17]

うる星やつら』、『らんま1/2』、『犬夜叉』など、高橋留美子原作のアニメ作品に数多く出演する常連だった。

ONE PIECE』ではテレビシリーズでミホーク役などで出演しており、同作の劇場版では第10作まで毎回異なる役柄で出演していた。原作のリメイク作品では、ラッスーやイッシー20のひとりといった、テレビシリーズで声優が決められていなかった人物の声を担当した。

ウルトラマン』のザラブ星人アテレコに際して、キャラの特徴をつかむために着ぐるみの中に入って実際に演技していた[6][33]。また後年のウルトラシリーズでも死去するまでザラブ星人の声を担当。

宇宙戦艦ヤマト』では真田志郎役を演じていたが、オーディションでは当初は別の役で受けており、終えて帰ろうとしていた[6][34]。その時に『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーの西崎義展が「ちょっと君、こっちの役も演ってみなさい」と言われたのが、真田役であり、オーディションを受けた役は落選し、真田役が決まったという[6][34]。その頃のアニメ出演は『宇宙戦艦ヤマト』の真田役のようなリアルな演技の役が多かったのが、『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王役、『キテレツ大百科』の熊八役など、次第に演技のデフォルメが強い役も増えていった[6]。元々、吹き替えでは狂気を帯びたり、型破りな役の声を当てるのが好きで、抵抗はなく、演技の起伏が激しい役は最高で楽しくてしょうがなかったという[6]

宇宙戦艦ヤマト 復活篇』でも真田役を演じていたが、今までに『宇宙戦艦ヤマト』のゲーム、パチンコ等に出演しており、それ以前にも『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版を制作の噂は聞いていたが、青野としては半信半疑だった[34]


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