しかし2010年5月15日に解離性大動脈瘤の手術を受けたが、6月26日に脳梗塞であることが判明して入院。療養で復帰の目処が立たないことから、当時演じていた全ての持ち役を降板した[28](後述)。2年近い闘病生活の末、2012年4月9日午後4時38分、解離性胸部大動脈瘤術後多発性脳梗塞のため、東京都八王子市の病院で死去[29]。満75歳没(享年76)[14][4]。
2013年、第7回声優アワード「特別功労賞」を受賞[30]。 一人っ子[17]。育ての父は建具指物師だったが、飲んだくれで母を泣かせていた[13][15]。家計は苦しく、その日その日を暮らしていくのが精一杯だったという[13]。妻は女優の板橋真砂子[8]。夫婦そろっての映画ファンであり、妻は『SCREEN』の愛読者[19]。女優の板橋七生は妻の妹[9]。娘がいる[2]。 特技はジョギング[10]で、36歳くらいから60歳少し前まで約20年間していた[17]。58歳くらいになったある時、タバコを吸っていた影響で体力が落ちており、つらくてつらくてしかたなかった[17]。そうしていたところ、妻が「あなた、もう年なんだから歩けばいいじゃない」と言われ、ウォーキングに切り換えた[17]。体力作りのために、朝、仕事がない時は、だいたい8キロから10キロくらいウォーキングをしていた[17]。趣味は野球[31]、競艇[16]。 座右の銘はウィリアム・スミス・クラークの「少年よ、大志を抱け(Boys Be Ambitious)」を挙げており、幼い頃からこの言葉をことあるごとに聞いて育った[6]。役者を目指して上京したが、挫折して夢を断念しそうになった時、この言葉を聞いて頑張っていたという[6]。 声種はバリトン[27]。役柄としては悪役や落ち着いた老人役[6]を初め、ひねった役、異常者の役、ハイテンションな役などを演じることが多かった[17][19]。本人も「悪役や様々な感情を演じられる役は演じていて面白い」とも発言している[32]。 20代の頃は、5役も6役も端役を演じていたことからちょい役を演じていた[17]。
人物
特色・役柄