清朝時代の青海地方は、藩部と位置づけられ、甘粛の西寧に駐箚する西寧弁事大臣を通じ、理藩院の管轄を受けた。
年表
1723年 - 1724年:清朝の青海出兵(いわゆる「ロブサンダンジンの乱」)。
1724年 - 1732年:雍正のチベット分割。従来、グシ・ハン一族に従属していたチベット系・モンゴル系の諸侯をダライ・ラマ領に組み込むもの、清朝の支配下に組み込むものに二分、清朝の支配下にはいるものは、さらに理藩院の管轄下に置かれるもの(青海内の諸侯)と、兵部の管轄におかれるもの(この分割の際に甘粛、四川、雲南などに分属させられたもの → 土司)とに大別された。
1732年:チベット高原の中央部に分布していた七十九族がタンラ山脈を境界として、玉樹四十族と西蔵の三十九族に分割される。西蔵と青海の境界が定まる。
1912年:中華民国のもとで青海特別地区。
1928年:青海省発足。
青海地方の諸集団
青海蒙古三十旗:グシ・ハン一族と、靡下のオイラト系モンゴル人。
玉樹四十族:旧七十族のうち、タンラ山脈の北側に分布するチベット系・モンゴル系の遊牧民集団。ナンチェン王に従属し、さらに個別に清朝から衛所の称号を受けた。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 以上、本節の記述は記事「雍正のチベット分割」より要約・抜粋。
^ 清朝が与えた土司としての称号は「嚢謙千戸」(のうけん-せんこ)
出典^ 年羹堯「西海善后事宜摺」
^ 佐藤長,1986
参考文献
石濱裕美子『チベット仏教世界の歴史的研究』(東方書店、2001年)
石濱裕美子 「グシハン王家のチベット王権喪失過程に関する一考察」『東洋学報』第69冊3.4合併号、1988年3月、pp.151-171。
石濱裕美子 「18世紀初頭におけるチベット仏教界の政治的立場について」『東方学』第77号、1989年01月、pp.143-129。
加藤直人 「一七二三年ロブザン・ダンジンの反乱:その反乱前夜を中心として」『内陸アジア・西アジアの社会と文化』 1983年、pp.323-168。
加藤直人 「ロブザン・ダンジンの叛亂と清朝:叛亂の經過を中心として」『東洋史研究』第四十五巻第三号號、1986年12月、pp.452-478。
加藤直人 「一七二三?四年、青海におけるラマの活動」『武蔵野女史大学紀要』十九、1984年、pp.323-349。
佐藤長 「ロブザンダンジンの反乱について」『中世チベット史研究』pp.383-423(ISBN 4-8104-0492-7 同朋舎、1986年3月15日)。
手塚利彰 「チベット問題について:ダライラマの出現とその歴史的背景」『対中国戦略研究報告書:軍拡・膨張の歴史と現状』【国基研論叢(The JINF Review)Vol.1, 国家基本問題研究所, 2011年11月30日/2012年2月10日】, pp,121-149。
関連項目
チベットの領域に関する認識と主張
青海省
青海省 (中華民国)
西蔵
青蔵鉄道
雍正のチベット分割
青海蒙古
七十九族
三十九族