青森ねぶた祭
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竿燈さんさ踊りなどの東北内外の他の祭りと共演をする。
現時点で単発開催のもの
「とことん青森2010」原宿表参道で運行されたねぶた(2010年1月23日撮影)

2005年9月 韓国ソウル特別市鍾路区大学路日韓友情年

2007年8月 アメリカ合衆国ロサンゼルス市リトルトーキョー二世週日本祭」に参加(米本土初)

2010年

1月 東京都港区表参道(青森県観光キャンペーン「とことん青森2010」の一環)

11月 東京都港区表参道(青森県観光キャンペーン「とことん青森MAX」の一環)


2015年8月 アメリカ合衆国ロサンゼルス市リトルトーキョー二世週日本祭」(米本土2回目)

イベント参加・出展


2019年12月?2020年2月 東京都千代田区 神田明神(体験型展覧会「江戸東京あかり展 produced by 日本あかり博」の一環)[11]

ねぶたの特徴

ねぶたの制作は専門の「ねぶた師」によって行われている[2]

昭和30年代に北川啓三というねぶた師が針金を用いて指を1本ずつ作ったり複雑な造作のねぶたを作ったことによって、ねぶた界に革命が起こる。針金が登場した当時、一部では反発があったと言われているが、その表現性の高さから程なくして主流となった。北川によってロウソクだった内部の明かりを蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せ明るく輝くねぶたを作ることに成功しより芸術性と完成度を高め、後に「ねぶたの神様」と評される。北川は既に他界しているが、現在の主流となっているねぶたの礎は北川が築いたと言える。その後、佐藤伝蔵鹿内一生によって更にねぶたの造形性が高められ現代のねぶたの形が整った。千葉作龍竹浪比呂央が郷土(青森)の題材をねぶたに取り入れた。
制作工程

ねぶた作りは、
題材の決定

設計図となる下絵を描く

各パーツの製作(面、手、足、送りなどの製作)

パーツ類を配置する為の骨組み

明かりを内側から灯す為の電気配線

針金の表面を覆う紙貼り

紙の上に黒いフチや線を描く書割り

着色時の色の混濁を防ぐロウ書き

白地に彩色する色付け

持ち上げて台車に設置する台上げ

というこれらの10の工程を経て完成する。

最大サイズとして幅約9m、高さ約5m、奥行き約7mと言う規定がある。この規定は先述の戦後のねぶたの大型化により、道路上の広告アーチや歩道橋、信号などとの調整が必要になり高さを制限が設けられたものである(1957年頃に定着した)[2]
題材

題材に特に決まりはないが、歌舞伎の名場面、日本や中国の故事、青森に伝わる伝説などが取り上げられることが多く、2人の戦闘の場面を構図にしたものが多い[2]。テレビ番組(特にNHK大河ドラマ)などを題材にすることもある。三内丸山遺跡が発掘された翌年の1995年には、縄文を題材にしたものが登場した。青森市初代名誉市民である棟方志功の生誕100周年となった2003年には彼の版画を題材にしたものが登場した。

昭和30年代ごろまでは歌舞伎・中国の伝説(三国志水滸伝)・合戦物が大部分を占めており、中でも北川は同じ題材をほぼ毎年何度も制作していた。昭和40年代になると、それら以外にも様々なジャンルが増え、昭和50年代末頃には郷土(青森)のジャンルが確立された。現在では、これまでと同じ題材でも、構図に多くの工夫を凝らし、その結果毎年より高い水準となっている。また新たな題材に挑むねぶた師も存在しており、彼らによって新たな表現方法も開発されている。青森以外の地で開催される(以下、遠征と表記)場合には開催地に合わせた題材を選ぶことになる。
ねぶたの運行

ねぶたの運行に関して基本的な運営(ねぶたの隊列、山車の運行、囃子方)は各出陣団体によって賄われる。
囃子

ねぶたの楽器構成は、笛、太鼓、手振り鉦の三つである[2]。この楽器構成は他地域のねぶたにもみられるが、メロディーとリズムは青森市のねぶたに独自のものである[2]

囃子は団体ごとに異なることもあるが共通囃子も存在する。主な囃子には以下の通りいくつか演目が存在する。(団体ごとに有無があり、団体特有の演目も存在する。)

集合太鼓(太鼓)

出陣太鼓(太鼓)

集合

ころがし

進行

戻り

なぬかび

ハネトと掛け声ハネトの正装

青森ねぶたの特徴の一つが周囲にハネトと呼ばれる大量の踊り子が付き従っていることである[2]。これらの踊り手は「ハネト」または「バケト」と称されるが、これらの呼称は少なくとも大正時代には一般的でなく「踊り子」と呼ばれていた(今純三『ネブタ運行の光景』には「おどりこ」とある)[12]。一説にはハネトは女装をしたバケトの一種で、次第に衣装が統一されたものという見方もある[12]

1970年頃まではハネトに加わるには運行団体名が入った浴衣を着用する必要があったが、1970年頃には運行団体の浴衣を着なくても参加が容認され始めた[2]。ハネトは決められた衣装(正装)を着ていれば誰でも参加可能で、団体間の移動も自由であり、観光客も数多くハネトに参加している[2]。一般市民や観光客向けに「青森ねぶた祭」という文字を染めた浴衣が販売されており、「統一浴衣」または「観光浴衣」と呼ばれている[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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