青木功
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2016年3月4日、日本ゴルフツアー機構の第4代会長に就任[3]

2019年内閣総理大臣安倍晋三アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプのラウンドに同行[4]

2020年3月25日、日本ゴルフツアー機構は青木功の会長の3選を決めた[5]

2020年4月3日、我孫子市名誉市民に決定[6]

2024年3月、日本ゴルフツアー機構会長の退任を表明[7]

主な記録

1980年全米オープンでは、準優勝。 (優勝はニクラスで、青木は2位。共に当時の優勝レコードを塗り替えての1、2フィニッシュ。これは2021年松山英樹のマスターズ優勝までの41年間、日本人男子選手のメジャー大会最高成績であった)

同年の全英オープンでは、3日目に最小スコアレコード「63」を叩き出している。 (2010年現在も、タイ記録)

日本人初の米国PGAツアー(ハワイアン・オープン)優勝。最終日・最終ホールでピンまでの距離128ヤードのショットでチップインイーグルを決めて、2位に1打差の勝利であった。1打差でリードしたままホールアウトしたジャック・レナーがスコアカードを提出しているさなかの奇跡の逆転であった。同ショットは米国にて、80年代を代表する印象に残るショットの一つに選定されており、このショットで使用したパワービルト社製のPW (ピッチング・ウェッジ) は、世界ゴルフ殿堂の施設内に展示されている。なお、128ヤードは勝利の翌日青木が歩測して確認した数字であり、翌日同じ場所から同じクラブで何度打ってもバンカーにつかまり、グリーンに届かなかったという。

プロ優勝 (78)
日本ツアー (51)

1973 (5)
中日クラウンズ, ペプシウィルソントーナメント, 札幌とうきゅうオープン, KBCオーガスタ, 日本プロ選手権

1974 (4) 東西対抗, 関東オープン選手権, 関東プロ選手権, 産報クラシック

1975 (2) 中日クラウンズ, 関東オープン選手権

1976 (1) 東海クラシック

1977 (3) 東北クラシック, ジーン・サラゼン ジュンクラシック, ABC日米対抗

1978 (6) 中日クラウンズ, 日本プロマッチプレー選手権, 札幌とうきゅうオープン, 関東プロ選手権, ゴルフ日本シリーズ, ABC日米対抗

1979 (4) 中日クラウンズ, 日本プロマッチプレー選手権, 関東プロ選手権, 日本シリーズ

1980 (5) 中日クラウンズ, よみうりオープン, KBCオーガスタ, 関東オープン選手権, ジュンクラシック

1981 (3) 静岡オープン, 日本プロマッチプレー選手権, 日本プロ選手権

1982 (2) 日本プロマッチプレー選手権, 大京オープン

1983 (4) 札幌とうきゅうオープン, 関東プロ選手権, 日本オープン選手権, 日本シリーズ

1986 (4) 札幌とうきゅうオープン, 日本プロ選手権, KBCオーガスタ, 関東オープン

1987 (4) ダンロップインターナショナルオープン, 全日空オープン, 日本オープン選手権, 日本シリーズ (雪の影響で2日間36ホールに短縮、 デビッド・イシイと優勝を分け合う)

1989 (2) 東海クラシック, カシオワールドオープン

1990 (1) 三菱ギャラントーナメント

1991 (1) ブリヂストンオープン

1992 (2) 三菱ギャラントーナメント, カシオワールドオープン

PGAツアー優勝 (1)

No.DateTournament優勝スコア打差2位
11983年2月13日
ハワイアンオープン?20 (66-70-65-67=268)1打差 ジャック・レナー

ヨーロピアンツアー (1)

1983
パナソニック・ヨーロピアン・オープン

その他優勝 (7)


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