青年団
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二、私たちは友愛と共励を信条に団結します。三、私たちは住みよい郷土社会の建設に努めます。四、私たちは人類愛と正義をもって世界平和に努めます。

規約(会則)は組織によってはない(もしくはあっても死文化されている)ところも多いが、形態に関しておおむね以下の内容の事を謳っている。

民主的な組織運営が大原則であり、最高意思決定機関は定期または臨時に開催される大会(総会)である。

団長、副団長、事務局長、理事(それぞれ呼び方は任意)などの役員を置き、会務を執行する。また、別途監事を置き年数回会務の監査を行う。

構成するものの主義政治信条、信教、思想その他は問わない。ただし、組織そのものがそれらに偏重してはならない。

収入はおもに構成するものからの負担金並びに寄付金からなる(商行為による利益追求型の組織ではない)

農山漁村部系の青年団と都市系青年団体

上記の青年団は農山漁村部の若者組をルーツに持つ青年団であるのに対して、日本都市青年会議(日都青)は都市系青年団体の組織であるといえる。日都青はサークルなどの青年団体を基盤とし、1969年(昭和44年)に5大市青年団体協議会に東京と北九州の青年団体を加えて発足した。なお、5大市青年団体協議会は、大阪、横浜、神戸、京都、名古屋の青年団体により1953年(昭和28年)に設立された。
活動内容詳細は「青年団活動」を参照

日青協が主催する全国行事としては全国青年大会全国青年問題研究集会などがある。全国青年大会はバレーボール、野球、フットサルなどのスポーツや、演劇、人形劇、郷土芸能などの文化活動を発表する大会で、過去毎年11月に東京・国立競技場周辺で開催されていた。青年問題研究集会は全国の青年団員が1年間の青年団活動の実践を元にした実践レポートを持ち寄り、分科会形式で発表・討論し、青年運動の発展を目指す集いである。毎年3月に日本青年館で開催されていた。行事の手法は、全日本自治団体労働組合の地方自治研究全国集会や日本教職員組合の教育研究全国集会と同様の手法である。道府県団、市町村団レベルにおいての実施行事は、各団まちまちで一様ではないが、前述の全国青年大会、青年問題研究集会の予選的行事のほか、社会教育的な活動、青年団同士の交流会や祭礼等への参加が多く、日本全国の各地でその地域の実状に応じた活動を展開している。
問題
団数、団員数の減少

昭和20年代を頂点に団数、団員数が減少している。高度経済成長期に地方青年層が都市へ流出し、都市近郊においては通勤青年化し青年団の存続が困難になっている。また価値観の多様化により青年層への青年団の求心力が低下している。この背景としては青年団が社会的役割を喪失しつつあることであり、大衆向け娯楽の普及、行政サービスや商業サービスの充実により相対的な公益性が低下し青年団の社会的存在意義が問われている。
市町村合併と青年団の存続

自治体の合併は青年団にも影響が大きい。青年団も合併が必要となり、そのための協議・調整の労力、新自治体の行政当局と青年団の関係、具体的には補助金の継続可否、新自治体の広域化による組織化の困難、体質の異なる合併後の青年団の運営・継続の困難などのためである。
「政治団体化の懸念」

日米安保改定問題などをめぐって国民運動が大きく高揚した1960年代、政治問題に青年団が明確な態度を示すべきだという考え方が青年団内で台頭し始めた。この考え方は、さまざまな思想性を持つ青年の集まりである青年団はあまり高度な政治課題に踏み込むべきではないという考え方と対立し、全国の青年団で問題となった。顕著な例として、1964年(昭和39年)に愛媛県で、1966年(昭和41年)には岡山県で、それぞれ県団執行部が政治的に偏向していることを理由に多くの加盟団(郡市団)が連合組織を脱退、解散もしくは分裂という事態に発展した。地域における青年団のこういった対立は、政治課題の対立が薄れてきている今日においては、青年団組織の弱体化もあいまって収束している。

また、各都道府県組織によって構成されている日本青年団協議会は、沖縄返還運動の促進や非核三原則の法制化を定期大会において決議したり、沖縄米兵による少女暴行事件への抗議等を主催する集会内で緊急決議することがある。加えて、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本社会主義青年同盟日本民主青年同盟と合同で有事法制反対の街頭宣伝活動を行っているほか、イラク戦争への自衛隊派遣に反対する声明などを常任理事会で決議している。こうした動きに対し特定の政治団体との親密化や政治的思想の偏りを進めるのではないかという懸念の声もある。

青年層組織であるならば、青年層を含む若年層に向けた声明を発表するべきという意見もあるが、日本青年団協議会が時の政策に向けた抗議という形をとっている背景には、青年の声を集約し社会に向けて発信していくことこそ役割であるという考え方による。

日本青年団協議会は機関紙のコラムで「青年団は思想・信条を超えて組織された団体だから、政治的な判断は保留すべきだという考えは、本質を取り違えている。青年団は政党的に中立であっても、政治的に中立であるわけではない」と述べている。青年団の大衆性や網羅性と政治的・社会的態度の明確性という微妙な関係は現在においても課題と言える。
関連作品
映画

同胞(1975年、松竹)

マンガ

突撃!!屯田村青年団山田浩一著、リイド社

突撃!!屯田村青年団 - マンガ図書館Z(外部リンク)


青年団活動経験のある著名人

竹下登(元内閣総理大臣、元日本青年館理事長)

野中広務(元自民党幹事長)

小里貞利(元労働大臣、現日本青年館理事長)

浜田幸一(元衆議院議員、タレント)

加藤六月(元衆議院議員)

西岡武夫(元文部大臣、参議院議員、元衆議院議員)

上杉光弘(元自治大臣、元参議院議員)

小沢潔(元国土庁長官、元衆議院議員)

大野松茂(現総務副大臣、衆議院議員)

玉木襄(政治活動家)

齋藤憲三(元衆議院議員)

中山利生(元防衛庁長官)

大野松茂(衆議院議員)

岩永峯一(衆議院議員)

保坂武(衆議院議員)

河合常則(参議院議員、元富山県議会議長)

遠藤登(元衆議院議員、現山形県天童市長)

伊藤康志(元宮城県議会議長、現宮城県大崎市長)

星川保松(元民主改革連合代表、元参議院議員、元山形県尾花沢市長)

海東英和滋賀県高島市長、旧新旭町長)

大西倉雄山口県長門市長)

佐橋薫(元愛知県小牧市長)

中村晃毅(元愛知県西尾市長)

小野寺喜一郎(元山形県遊佐町長)

脚注[脚注の使い方]^ 青年団 ブリタニカ国際大百科事典
^ 大串隆吉、「戦時体制下日本青年団の国際連携 : ヒトラー・ユーゲントと朝鮮連合青年団の間(2)」『人文学報. 教育学』 1997年 32号 p.1-36, 首都大学東京
^ 宮崎聖子著, 『植民地期台湾における青年団と地域の変容』, 御茶の水書房, 2008年3月 牧野篤、日本の教育史学 : 教育史学会紀要 52, 192-195, 2009-10-01
^ 飯高伸五、「〈趣旨説明〉旧南洋群島における日本統治経験 文化的同化政策と現地住民」『日本文化人類学会研究大会発表要旨集」 日本文化人類学会第43回研究大会 セッションID: H-4, 2009(0), 211-211, doi:10.14890/jasca.2009.0.211.0, 日本文化人類学会
^ 飯高伸五、「年齢集団と青年団の節合:パラオ人の経験の次元からみた勤労奉仕」『日本文化人類学会研究大会発表要旨集』日本文化人類学会第43回研究大会 セッションID: H-7, 2009(0), 211-211, 2009, doi:10.14890/jasca.2009.0.214.0
^ 黒崎岳大、「憧憬としての青年団:マーシャル社会における「クミ」組織の形成と限界」『日本文化人類学会研究大会発表要旨集』日本文化人類学会第43回研究大会 セッションID:H-6, 2009(0), 213-213, 2009
^ 例として、某集落にある妻の実家に転居した夫がその地に馴染むため加入を申し込んだところ、近隣他家の長男が先という理由で加入が後日に先送りにされている。

関連項目

田澤義鋪

日本青年館

日本青年団協議会日本都市青年会議全国青年大会青年大会全国青年問題研究集会


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