青山学院大学
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1883年東京英学校が赤坂区青山南町官園跡地(現在地)へ移り、「東京英和学校」と改称[53]
1888年海岸女学校の上級生を青山に移し、東京英和女学校と改称
1891年英語師範科を開設[54]
1894年東京英和学校を青山学院に改称
青山キャンパスに神学部・普通部(高等普通学部・英語師範科・予備学部)を設置
海岸女学校を閉鎖し、東京英和女学校に合同
1895年東京英和女学校を青山女学院に改称。神学部・普通学部(高等科・予備科・普通科)手芸部、幼稚園を置く
1899年幼稚園を閉園
青山女学院手芸部が独立し、青山女子手芸学校となる
1900年尋常中学部を中等科、高等普通学部を高等科と改称[55]
高等科卒業生の英語科中等教員無試験検定を認可される[56]
1901年高等科が徴兵猶予の特典を得る[55]
1904年青山学院高等科・神学部は専門学校の認可を受ける
青山女学院英文専門科は専門学校の認可を受ける
1906年青山学院財団法人設立
校旗と校章を制定[57]
「青山学院大学部設立の趣旨」を発表[58]
1908年神学部を神学科と改称[59]
1912年閉鎖された東京クリスチャン神学校の学生が青山学院神学科に編入[60]
1914年青山女子手芸学校を青山女学院に合同
関西学院神学部教授会との共同編集で『神学評論』を創刊(1941年終刊)[61]
1915年神学科を神学部、高等科を高等学部、中等科を中学部と改称[62]
1916年高等学部人文科・英語師範科・実業科を設置[62]
1918年勝田銀次郎の寄付により高等学部校舎(勝田館)落成[63]
1920年青山学院理事会、大学設置案を可決(関東大震災により計画停止)[64]
1922年人文科を廃し、英文科を設置する[65]
1923年聖学院神学校を吸収統合する[66]
関東大震災により大講堂、高等学部、中学部、神学部の各校舎大破
1925年高等学部英文科を文科、実業科を商科と改称し、修業年限を4年とする[67]
1926年高等学部校舎、同学部講堂、中学部校舎竣工[68]
1927年青山女学院を青山学院に合同(青山学院は神学部、高等学部、中学部、高等女学部(専攻科・本科)を置く)
1928年神学部に女子部を設置[69]
1929年高等学部と神学部の総合名称を「専門部」と定める[69]
間島記念図書館落成
1931年神学部校舎竣工[70]
1933年高等女学部の専攻科(家政科)は専門学校の認可を受け、女子専門部(家政科)と改称
創立50周年記念祝賀式を開催、駐日米国大使などが祝辞[71]
1934年玉川運動場を開設[72]
1935年高等学部を文学部と高等商業学部に改組し、文学部に英文科、英語師範科、高等商業学部に商科を設置(高等学部の名称廃止)
1937年関東学院神学部を吸収統合する
御真影奉戴式を挙行[73]
1940年皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会を開催
1941年日米関係悪化により青山学院在勤の外国人宣教師が本国に帰国[74]
青山学院報国隊を結成[75]
1942年青山学院財団法人を財団法人青山学院に変更
『青山学院報』で大学設置案を発表(同年秋の理事会により計画停止)[76]
1943年神学部を閉鎖[注釈 6]
教員人事問題に端を発する学内混乱により笹森順造院長辞任[77]
出陣学徒壮行会に参加[78]
1944年専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院専門学校に合同
青山学院工業専門学校(航空機科・発動機科・土木建築科)を開校
1945年5月25日の空襲により校舎・諸施設の約7割が罹災する[79]
1946年青山学院工業専門学校から青山学院専門学校と改称
青山学院専門学校に英文科・経済科・機械科・土木建築科を設置
女子専門部を青山学院女子専門学校に改称
米海軍第7艦隊横須賀基地第4代司令官であるデッカー大佐が、従軍牧師のリッカーを介しキリスト教学校を通じた平和と民主主義の教育を提案
神奈川県横須賀市古坂ー城が分校の設立を決定
1947年海軍工機学校の設備を利用し、青山学院横須賀分校専門部機械科・土木建築科を設立
1948年高等部、女子高等部(1952年廃止)、第二高等部(横須賀分校)が設立される
東京農業大学常磐松校地その他を購入[80]
1949年青山学院大学開学、文学部英米文学科・基督教学科、商学部商学科、工学部機械専修、土木専修を設置
渋谷キャンパス復興で維持困難のため、横須賀分校を閉鎖
1950年工学部を関東学院大学へ譲渡
横須賀分校跡地を地元教会関係者に譲渡
文学部第二部英米文学科、文学部教育学科、第二部教育学科、第二部基督教学科、商学部第二部商学科を設置
1951年「財団法人青山学院」を「学校法人青山学院」に組織変更
1952年大学院文学研究科を設置
1953年商学部を経済学部(商学科・経済学科・第二部経済学科)に改組
大学院経済学研究科、基督教学専攻科を設置
1954年関西学院大学神学部との間に交換教授制度を設ける[81]
桜新町グラウンドを開設[82](1958年売却)
1956年基督教学専攻科を廃止
1959年法学部(法律学科)を設置
1960年学生の政治活動を禁ずる「三公示」を掲示[44]
1961年基督教学科を神学科に改組、第二部基督教学科を廃止
大学院法学研究科を設置
綱島グラウンドを開設[83](2001年閉鎖)[84][85]
1962年文学部フランス学科を設置
現在の青山キャンパス正門が竣工
11月、第17代駐日米国大使エドウィン・ライシャワーが講演のため来校[86]
1963年法学部法律学科を私法学科・公法学科に改組

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