青人社
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1994年の馬場の死去後は学研の傘下から完全に離れ、会員制雑誌『ロッタリー』を発行していたワールドマガジン社(実態は海外宝くじ購入斡旋・代行業者であった)の傘下となり、会社は六本木の日産ビル(現:六本木ヒルズノースタワー)に移った[1][2]

だが、買収後程なくして親会社であり経営再建に向けたスポンサーでもあったワールドマガジン社が刑法187条(富くじ罪)による摘発を受けて廃業した[3]ことにより、経営は悪化。『ドリブ』は1997年10月号をもって休刊となり[4]、その後1999年7月号で復刊するも、直後の9月に倒産した。『おとこの遊び専科』はJ.D.P(ジャパン・デジタル・パブリッシング)が継承したものの、3号で休刊となった。
主な刊行雑誌

四季の手帖

ドリブ

おとこの遊び専科

日本こころの旅

起業塾

脚注^ 山崎修(元専務取締役). “雑誌を作っていたころ(33)社長交代”. STORYS.JP. 2022年8月9日閲覧。
^ 山崎修(元専務取締役). “雑誌を作っていたころ(34)蜜月からの転落”. STORYS.JP. 2022年8月9日閲覧。
^ 山崎修(元専務取締役). “雑誌を作っていたころ(35)防衛戦”. STORYS.JP. 2022年8月9日閲覧。
^ 山崎修(元専務取締役). “雑誌を作っていたころ(36)悪あがき出版”. STORYS.JP. 2022年8月9日閲覧。

関連書籍

嵐山光三郎『昭和出版残侠伝』
筑摩書房 - 創立当初の時代のことが描写されている。

外部リンク

雑誌を作っていたころ - 山崎修(元専務取締役)のブログ上の回顧

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