現在の東京都で生まれるが、太平洋戦争の影響で両親の故郷である愛媛県松山市に疎開し、同所で育つ[4]。愛媛県立松山東高等学校卒業[2]。一学年下には俳優・映画監督の伊丹十三や作家の大江健三郎がいる。高校時代は水泳、陸上やラグビー(ポジションはウイング[7])もやり、バスケットボール部で国体代表候補になるほどの腕前であった[7][8]。愛媛大学文理学部[9]人文学科甲(文学課程英語・英文学専攻)に通いながら[4]、NHK松山放送劇団の劇団員として主にラジオドラマ(オーディオドラマ)などで活動した[2][10]。 先輩に誘われて愛媛大学を2年で中退[注 2]し[11]、1955年に劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所に第7期生[1] として入所[2][12]、井川比佐志、田中邦衛、藤岡重慶、山本學らと同期となった[13]。同期の田中邦衛とポスター張りなどのアルバイトをする[14]。田中邦衛は『週刊文春』2001年5月31日号の阿川佐和子との対談の中で露口について、「露さんは俳優座養成所の女子生徒みんなに『露口さん、おリンゴ食べる?』なんて言われて、俺たちは『なぁ?にが、おリンゴだよ』なんて言って(笑)」とエピソードを語っている。1957年にNHKのテレビドラマでデビュー、1958年俳優座養成所を卒業、「劇団新人会」[1] に入団[2]。 1959年、古川卓巳監督の日活映画『逃亡者』で映画デビューを果たし、同年には映画『女子大学生 私は勝負する』にも出演したが、劇中の水着のシーンに問題があるとして、たった一日で上映が打ち切られた[15]。その後、劇団新人会を退団して1960年に小沢昭一らと共に「劇団俳優小劇場
俳優座研究所時代
初期 (個性派の性格俳優としての活躍)
舞台を中心に活動する一方、山田洋次監督の『霧の旗』、今村昌平監督作品、日活映画などやテレビドラマで、悪役、犯人役、好青年まで幅広く演じる、個性派の性格俳優として売れっ子になった[2][注 4]。
1964年:今村昌平監督『赤い殺意』に出演、主演の春川ますみ演じる人妻を強姦し、やがて心臓病で死ぬアクの強い役を好演、一躍注目された[2]。同年の中島貞夫監督の映画『くノ一化粧』では主演を務めた[21][22]。