先輩に誘われて愛媛大学を2年で中退[注 2]し[11]、1955年に劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所に第7期生[1] として入所[2][12]、井川比佐志、田中邦衛、藤岡重慶、山本學らと同期となった[13]。同期の田中邦衛とポスター張りなどのアルバイトをする[14]。田中邦衛は『週刊文春』2001年5月31日号の阿川佐和子との対談の中で露口について、「露さんは俳優座養成所の女子生徒みんなに『露口さん、おリンゴ食べる?』なんて言われて、俺たちは『なぁ?にが、おリンゴだよ』なんて言って(笑)」とエピソードを語っている。1957年にNHKのテレビドラマでデビュー、1958年俳優座養成所を卒業、「劇団新人会」[1] に入団[2]。 1959年、古川卓巳監督の日活映画『逃亡者』で映画デビューを果たし、同年には映画『女子大学生 私は勝負する』にも出演したが、劇中の水着のシーンに問題があるとして、たった一日で上映が打ち切られた[15]。その後、劇団新人会を退団して1960年に小沢昭一らと共に「劇団俳優小劇場
初期 (個性派の性格俳優としての活躍)
舞台を中心に活動する一方、山田洋次監督の『霧の旗』、今村昌平監督作品、日活映画などやテレビドラマで、悪役、犯人役、好青年まで幅広く演じる、個性派の性格俳優として売れっ子になった[2][注 4]。
1964年:今村昌平監督『赤い殺意』に出演、主演の春川ますみ演じる人妻を強姦し、やがて心臓病で死ぬアクの強い役を好演、一躍注目された[2]。同年の中島貞夫監督の映画『くノ一化粧』では主演を務めた[21][22]。
1966年:吉田喜重監督の『女のみづうみ』と成沢昌茂監督の『四畳半物語 娼婦しの』の演技により、第12回ホワイト・ブロンズ賞助演男優賞を受賞した[2]。
1967年:今村昌平監督ドキュメンタリー映画『人間蒸発』に事件を追うレポーター役で出演。蒸発した男の行方を追う内容であり、蒸発した男の妻で出演者である一般人の女性と男の行方を追ったが、その女性が次第に露口に思いを寄せるようになるというハプニングが起こった[注 5][23][24]。また今村から蒸発した大島を演じろと言われた露口は困惑して、しまいには精神的に疲れ果て俳優ではなく素人のようになってしまった、と今村が後に語っている[25]。