電気グルーヴ
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^ 石野は免許をもっていない。
^ ジャケットの半人半馬の人形のモデルは当時プロモーターを務めていた「ゲロモーター(=酔ってゲロを吐くプロモーター)」こと中山道彦(現キューンレコード社長)。
^ 電気の映像作品としては珍しく直球のタイトルを採用している。
^ もともと石野は熱狂的なダウンタウンファンであり、大阪時代より独自の情報網を駆使して『4時ですよーだ』などの番組VTRを入手していた。ある日、石野は当時住んでいた近所のお店で松本人志と偶然遭遇。慌てて家に戻り、発売されたばかりの“フラッシュ・パパ”を持って再びその店に慌てて直行し、松本に「電気グルーヴっていうバンドです。良かったら聴いて下さい」等と言って手渡した…と、メジャー・デビュー直後の大阪のライヴのMCで興奮気味に語っていた。その後、電気は『ごっつええ感じ』等、多数の番組にゲストとして出演しており、瀧は高須ともプライベートで親交が深い。
^ なお、当番組は対決パートの他に撮りおろしの今田・東野のコントと歌(「親父の唄」)と電気のライヴ映像が挿まれた。とくに電気のライヴはCDに収録されていないバージョンのアレンジ(「オールスター家族対抗蛇合戦」。クラフトワークなどをサンプリング)で、資料性も高い。当時の今田は『ごっつええ感じ』で東京進出を開始した時期で、東野は関西中心に活動していた。この番組が縁となったわけではないが、のちに石野は彼らによるWEST END×YUKIの「テクノでSO・YO・NA」のプロデュースとリミックスを手がけた。
^ 当時は「FLASH PAPA MENTHOL」、「VITAMIN」へと硬派なテクノ路線に傾倒していく一方で、『ダウンタウンのごっつええ感じ』における「鼻リーグ」でのダチョウ倶楽部とのリアクション芸対決や、「浅草橋ヤング洋品店」における「中華大戦争」のリポーターなど、およそミュージシャンらしからぬ芸人的活動も頻繁に行っていた。
^ ヘトヘトになりながらも昼間の収録でボルテージの上がっていた石野は、この時実に饒舌で「女を殴るミュージシャンは日本で俺と坂本龍一だけ」などの発言を残した。
^ 催眠術企画では石野がマイケル・ジャクソンにされたり、伊集院がドラえもんにされたりしている。
^ 特筆すべきは巻末のディスクレビューで、彼らが影響を受けたであろうテクノニューウェーブからプログレッシブロックのアルバムが、ジャケット写真と共に数多く解説されている。当時これらのジャンルを総括する書籍は例がなく、重宝された。また三人の部屋も紹介され、数々のアナログ機材がページを飾った。執筆には静岡時代からの盟友野田努が参加。この本とほぼ同時期にリリースされた「人生」ベスト盤のレヴューも「こくそ虫(狂人鬼)」名義で担当している。野田の実弟は「人生」の元メンバー(当時の芸名は「くちづけ」)だった。この単行本を作るにあたっての伊豆で行った合宿は惨憺たる光景であったと語られている(全員泥酔し、あちこちにゲロがまみれ、なぜか全裸でプラモを作ったと言われている)。
^ 石野の「メリーノイズ」としての初ステージから当時の電気の活動までを貴重なスナップ写真と共に振り返る「KARATEKAそして鼻毛あばれ牛への道」は、上記の「俺のカラダの - 」と合せて読むことで、電気の歴史をより深く知ることができる。また三人の家族(石野・砂原の母、瀧の姉)他、森若香織奥田民生スチャダラパーといった友人たちがメッセージを寄せている。
^ 『テクノ・ユニット』の項では「テクニックがないというコンプレックスは強く、なにかというと「センス」を強調したがります」と、自嘲的に表現している。また、『タキ』も職業のひとつとして取り上げられている。後にメンバー自ら「なんで出たのかわからない本」と振り返る。
^ これ以前に『R&R NEWS MAKER』誌で連載されていた「濡れてシビれて」(石野いわく「メロン牧場とほとんど同じ内容の連載」)の単行本化の告知が存在したのだが、こちらは現在に到るも刊行されていない
^ アルバム『VOXXX』の一曲目「地獄に堕ちろ電気グルーヴ」はこのゲームの音素材をサンプリングして作られた。
^ 2012年4月、キューン20 イヤーズ&デイズでのライブに出演
^ サウンド&レコーディング・マガジン 2011年10月号のインタビュー記事にて ファースト・アルバムの印税で購入したと語っている
^ DJプレイ時、楽曲の作成時にも使用。サウンド&レコーディング・マガジン 2012年8月号 インタビュー記事より
^ 2012年4月30日、ustream配信 「はみでろ!キューンch.」内のライブ生中継で使用を確認
^ 2017年7月26日、電気グルーヴ『DENKI GROOVE DECADE 2008?2017』 リリースSP!「DENKI GROOVE 10 LIVE STREAMING!」内のライブ生中継で使用を確認

出典^ a b c “電気グルーヴ”. CDJournal. 音楽出版社. 2015年9月2日閲覧。
^ a b c d Mills, Ted. Denki Groove 。Biography & Histoty - オールミュージック. 2020年12月10日閲覧。
^ “電気グルーヴ”. ナタリー. 2015年5月29日閲覧。
^ “電気グルーヴがサブカルチャーに残した爪あと”. www.cinra.net (2013年2月27日). 2019年3月22日閲覧。
^ “ALL NIGHT LONG ナゴムと人生……電気の前史を紐解く”. tower.jp. 2019年3月22日閲覧。
^ “さらにこの全国ツアーの様子を収録したドキュメンタリー映像<電G軍団ほら吹きツアー同行記>も約1時間に渡るボリュームで収録している。”. www.sonymusic.co.jp. 2019年3月22日閲覧。
^ “ピエール瀧が語る ケンタウロス着ぐるみでドイツの新聞一面を飾った話”. webcache.googleusercontent.com (2015年7月1日). 2019年3月23日閲覧。
^ “電気グルーヴ:プロフィール・バイオグラフィ・リンク”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2015年9月2日閲覧。
^ HMV the music & movie master issue 187
^ 電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』JICC出版局、1992年6月、28-60頁「石野卓球ロング・インタビュー」より「『NO』は人生の事を歌っている。人生時代の自分の事を歌ってるんです。当時の事は今ではあまりよく憶えてないけどね。でもこの曲の事がいいって言ってくれる人は多いよね。石野卓球が初めて自分の心情を歌にしたって。本当に自分にしては珍しく感情丸出しの曲だよね。僕もある意味では特別な思いがあります。好きな曲ですね」
^ROCKIN'ON JAPAN』1994年2月号、石野卓球インタビュー(聞き手=山崎洋一郎)より「あれを作った頃は人生を解散して『さあ、どうしよう?』つって、田舎へ帰ろうかまだ東京に残って音楽をやろうか悩んだり、あと当時一緒に住んでた彼女にふられて一人暮らしを始めたりとか、そういう落ち込むような状況だったから。すごいナーヴァスになってたから、それでああいう気の弱いとこを見せたんでしょうね(笑)。でも、決してその気持ちは嘘じゃないから」
^ 『DENKI GROOVE THE MOVIE?』 石野卓球とピエール瀧インタビュー 石野卓球とピエール瀧が明かす、電気グルーヴの四半世紀「『N.O.』は今歌っても恥ずかしくない」 Real Sound 2015年12月21日
^ JICC出版局刊『宝島』1991年2月24日号、p.58-60より。
^ “TKMC ARCHIVES NON EDIT TALK”. フジテレビジョン. 2012年8月4日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2015年9月1日閲覧。
^ “全裸会見&ANN収録現場も、電気グルーヴの記録映画から場面写真”. CINRA.NET. 2021年5月24日閲覧。
^ “「電気グルーヴ」ピエール瀧が舞台から転落、死亡 そんなデマが「ツイッター」で拡散した理由”. J-CASTニュース. 株式会社ジェイ・キャスト (2013年3月14日). 2015年9月1日閲覧。
^ “電気グルーヴ、初ドキュメンタリー映画12月公開!”. シネマトゥデイ (2015年7月14日). 2015年7月14日閲覧。
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