電子音楽
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コンピュータを、リアルタイム動作のシーケンサないしシンセサイザとして使用する試みは、日本では1950年代末にパラメトロンコンピュータPC-1を使用して矩形波で「春の小川」を奏でた[6]のが最初期の例であるが、世界各所で、また新しいタイプのコンピュータが現れるごとに[7]おこなわれてきた。

コンピュータの音響合成への使用は、1957年ベル研究所のマックス・マシューズによるプログラムMUSICが始まりとされる。その後継プログラムは各地に広がり、信号処理や音響合成の研究に使用され、1967年のFM音源の原理の発見や、1970年代のデジタル・シンセサイザー開発に繋がった。
1960-70年代

その後初期のアナログ・シンセサイザーの発明(特にモーグ・シンセサイザー)により電子音楽が広く一般化し、クラシック系現代音楽以外にも多くの音楽ジャンルで用いられた。日本では冨田勲がアナログ・シンセサイザーを多く用いた作曲家として有名である。

テープレコーダーが比較的安価になり一般の手にも触れるようになったため、大学や放送局などの研究機関とかかわりのない在野の作曲家たちもテープ音楽の制作に参加できるようになった。スティーヴ・ライヒは、同じ録音で同じ長さのテープループを用い、同時に再生することでわずかな回転数のずれからディレイが生まれ、2つの周期がずれていくことに注目し、「カム・アウト」「イッツ・ゴンナ・レイン」などのテープ作品を生み出した。これがやがてミニマル・ミュージックのアイデアにつながっていく。

イアニス・クセナキスは1972-1977年にかけ、パリのフランス郵政省内のCEMAMu(数理的自動音楽研究センター)で、タブレットボードに線を描いて入力した図形を電子音響処理する装置UPIC(ユーピック)を開発し、湯浅譲二高橋悠治及び嶋津武仁といった日本の作曲家たちの創造力を大いに刺激した。

1973年にダートマス大で初期のデジタル・シンセサイザーが開発された。1970年代にはマイコンが開発され急速に一般化したが、これを利用し1970年代後半デジタル音楽ワークステーションへと発展した(シンクラビアI/IIフェアライトCMI)。これは、音楽製作に必要な 音響合成/サンプリング/演奏/シーケンスや作曲 といった一連の作業をシームレスにデジタル信号処理する最初の試みであり、後にHDレコーダや作譜ソフトも追加され、現在一般に普及しているDAWシステム(デジタル・オーディオ・ワークステーション)の原型となった。
1980年代

1980年代よりコンピュータを用いる音楽がそれまでの電子音楽に代わって主流となった。1976年に生まれたパリポンピドゥー・センターの併設組織IRCAM(イルカム)は、現在でもなおヨーロッパのコンピュータ音楽の最先端の研究施設である。初代所長はピエール・ブーレーズ。生楽器演奏をマイクで拾い、大量のDSP(IRCAMカード)を積んだコンピュータ(NeXTやSGI)で音程音量の抽出や音響処理を行うソフトウェアが開発された。ブーレーズはこのソフトウェアを使った音楽作品として「レポン」、「二重の影の対話」、「シュル・アンシーズ」、「アンテーム2」などを書いている。ダルムシュタットドナウエッシンゲンではライヴ・エレクトロニック(ドイツ語版)という分野を特別に設けている。またMIDI処理用グラフィカル言語MAXは、後に音響処理や動画処理を統合し、これは現在では世界中に普及している。

1978年に結成したイエロー・マジック・オーケストラが全盛期を迎え、高い人気と知名度から電子音楽(テクノポップ)を日本国内において普及させた。

パリにはもうひとつラジオ・フランス内にINAという組織が持つGRMというコンピュータ音楽研究施設があり、これをINA-GRM(イナグラム)と呼んでいる。こちらはジャン・クロード・リセリュック・フェラーリなどの作曲家を生み出した。INA-GRMは現在ではIRCAMと技術を競い合っている。

イタリアのルイジ・ノーノはこれとは別に、ドイツのフライブルクのSWR南西ドイツ放送のハインリッヒ・シュトローベル(英語版)財団の電子音楽スタジオに頻繁に通い、晩年の「アン・デア・ドナウ」などのライヴ・エレクトロニック電子音楽作品や、東京で初演された「ノ・アイ・カミノス、アイ・クエ・カミナール」等、傑作管弦楽曲の作曲の大きな助けとした。

アメリカのカリフォルニア大学コロンビア大学、ドイツのロベルト・シューマン音楽大学やフライブルク音楽大学(メシアス・マエグアシュカ(英語版))・フランクフルト音楽大学シュトゥットガルト音楽演劇大学エアハルト・カルコシュカ)・ベルリン工科大学などにも優れたコンピュータ音楽の研究施設があり、和声学対位法楽式・12音-セリエル技法等と並ぶ音響作曲法修得としての理論科・作曲科大学院学生の卒業試験の必須科目とされている。

これらの音響研究施設では、電子的に生み出される音響の研究のほか、作曲にかかわる様々な理論をコンピュータに計算させることについても多く試みられている。現在の代表的な作曲用計算ソフトとしてOpenMusicが挙げられる。

一方、一般販売されたシンセサイザーは、FM音源(1967年発明)を採用したデジタル・FMシンセサイザーの登場によって大きく発展した。それまでデジタル音響合成の主流だった加算合成は、理論上はどんな複雑な音色も合成可能だが、複雑な音色の実現に多数の高調波成分の制御が必要なため、処理に大量の計算機資源を必要とする難点があった。また一般に市販されている二十万?百万円程度のアナログ・シンセサイザーは、1音あたりのオシレータ数がせいぜい1?3個であり、アナログFM処理も一部機種などで可能だったにせよ、音色については大きな制限を強いられていた。これに対しデジタルFMシンセサイザーは、最小構成では単音毎に2個のオシレータで豊かな倍音を生成でき、またデジタルの時分割処理でオシレータの単位コストが極めて低く、大量のオシレータを使った複雑な音色を安価に提供できた。初期の代表的な機種にヤマハDX7があり、リチャード・タイテルバウム(英語版)、ジャック・ギヨネ(フランス語版)などが愛用した。


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