電子オルガン
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1946年、アメリカの老舗ピアノメーカー、ボールドウィンが電子オルガンを発売(真空管数37本)[7][注釈 8]

これは1941年Winston E. Knock[7]が開発後、戦争で発売延期となっていた製品。元をたどると1936年頃ドイツでOscar Vierlingと共に開発・試作したネオン管発振式周波数分周オルガンKock Vierling organ[8]の系譜を継ぐ製品で、使用真空管数が極めて少ない点が大きな特徴となっている。


1947年、アメリカの老舗オルガンメーカー、ウーリッツァー(英語版)が静電ピックアップ式リードオルガンを生産開始。

これはBenjamin F. Miessnerの特許に基づき1934年Frederick Albert Hoschkeが開発・製造したOrgatronを、彼の死後1936年以降エヴェレット・ピアノ・カンパニーが製造していたものを、1946年ウーリッツァーが特許取得し生産した製品[9][10][8]。なおウーリッツァーは1950年代末にトランジスタ式電子オルガンに移行し、本方式製品の販売は1960年代初頭に終了した。


1951年頃、同じく老舗オルガンメーカー、エスティ (Estey) が電子オルガンを発売。

これは1951年ハラルト・ボーデが開発したBode Organを原型とする製品。ボーデはこの開発の成功を期にアメリカに移住し、同社チーフエンジニア(後に副社長)に就任、1961年AES(英語版)論文でトランジスタ式モジュラー・シンセサイザーを提案して[11]、新しいシンセサイザー時代を切り拓いた[12]

これ以降、様々なメーカーが電子オルガンを開発・発売していった[13]
ハイブリッド・パイプオルガン

教会用パイプオルガンに電子技術を後付けする「ハイブリッド・パイプオルガン」[注釈 9]は1930年代に登場した。

1934年フランスのアビィ・プジェ (Abbe Pujet) がバイプ・オルガンに電子技術を加えた「ラジオ・シンセティック・オルガン」(electroacoustic Orgue Radiosynthetique)[14]を制作しNotre-Dame du Liban de Paris[15]に設置[注釈 10]

多くの場合、パイプ音高の気温追従性と電子音の安定性の問題があり実用に耐えるものは少なかった。

宮城県白石市キューブのオルガンはパイプ音と電子音の複合楽器である。この楽器ではその時の気温のパイプ音高に追従する手動スイッチがあるが段階式である。

国内メーカー

1955年黒田一郎氏はクロダオルガン国産初の教会用電子オルガン「クロダトーン」を発売。 発音体にリードオルガンのリードを使用し、送風機で常時振動させ、その振動を電子的に拾い、音色を作るフィルター回路と鍵盤接点を経て真空管電子回路で増幅しスピーカーを鳴らした。黒田一郎氏はパイプオルガンにも熱意を燃やしていたが成功した例はない。

1958年6月、国産で初めて販売された電子オルガン「日本ビクターEO-4420」(後のビクトロン)が登場した。全真空管方式、マニュアル44鍵2段/ペダル12鍵、販売台数は約50台で、上智大学同志社高校、教会等に納入された。

同年、テスコ スーパエレガン(単音)発売。

1959年10月26日日本楽器がET型電子オルガン(後のエレクトーンの元祖)を発表(マニュアル61鍵3段/ペダル32鍵/使用トランジスタは約3000個) [16]

1959年12月、日本楽器エレクトーンD-1型を発売(使用トランジスタ数281個、価格35万円)。1952年の基礎研究開始以来約7年の歳月をかけ、試作を繰り返し改良を重ねた上の製品化だった[17]

1960年カワイ ドリマトーン/テスコP-1開発。

1961年ソニーが試作電子オルガンを完成させた。

1962年、カワイET-4発売。

同年、エース電子工業エーストーン・キャナリーS-2(単音)発売。

1963年テクニトーンSX-601発売。

1964年、エレクトーンF-1発表。

以降も次々と新機種が発表されていった[13]
国内の教会用電子オルガンの系譜

1955年黒田一郎氏創業のクロダオルガンも、手作りの教会音楽用アナログ電子オルガン「クロダトーン」のメーカーとして広く知られたが、デジタル化の時代には乗らず、生産終了、その後、アレン、ヨハネス、コンテント、アールボーン等の輸入代理店をしていた。

ヤマハは、1981年にFM音源システムを使用したF-70[注釈 11]、F-50、F-30を手始めにチャーチオルガンを本格的に手がけ始め、1989年にAWM音源システムを採用したフラッグシップモデルといえるF-700、1992年にF-300、F-400[18]を発売したものの、チャーチオルガン製作からは撤退した。現在のヤマハはバイカウントの代理店である[19]
技術の進歩トーンホイールの模式図
鉄製歯車(右)を回転し、隣接する磁気ピックアップ(左)で電気信号に変換するトーンホイール式オルガン Hammond B3
ローレンス・ハモンドによる発明

ハモンド・オルガンが開発された時代、既にいくつか実験的な真空管式オルガンが開発されてはいたが[注釈 12]、ローレンス・ハモンドは、音源に電子回路を使用せずに物理的にアナログの信号を発生させる機構を用意して、それをスピーカーへと増幅する最後の過程に真空管を使用するという構想を進めた[3]磁気ピックアップの前に鉄製歯車を設置し、歯車をモーターで回転させると、ピックアップのコイルに交流電流が発生する。回転数一定で歯車の刻みを各種用意すれば、種々の音程を生み出せるようになったのである。この機構は比較的単純で実用に耐える耐久性を提供したが、内部に駆動部と大量の歯車を抱える方式のため小型化や軽量化は難しく、後にトランジスタ製品やLSI製品の普及とともに、人々がもっと軽量な楽器を求めるようになったのも自然な動きであった。しかし当時の基準では、真空管が最低限で済み信頼性も高かったので、第二次世界大戦中から戦後にかけ、アメリカ軍は世界中に礼拝用としてハモンド・オルガンを持参していくこととなった。

なお、ハモンド・オルガンは開発当初、教会や劇場を主要な市場と想定していたので、機能面で教会用オルガンを意識している。しかし音に関しては何かの模倣ではなく、あらゆる音を合成可能な新しい楽器の実現(一種のシンセサイザー)を目指していた。例えばハモンドが1937年開発した真空管式電子楽器ノバコードは、ノブの調整でオーケストラやバンドサウンドと同様な効果を得る事ができた。この楽器は、有名な映画/ラジオ/テレビのサウンドトラック製作に採用され、その後シンセサイザーが登場する1960年代まで第一線で使用された。

1940年代に入ると、電子オルガンの市場は家庭向けやポピュラー音楽用途にも広がり、他のメーカも次々と同様な技術に基づく電子オルガン(ストップ付き)を発売した。
ジェローム・マーコウィッツによる発明

ハモンドオルガン(トーンホイール式)の登場後、5年後にそれは登場することとなった[20]。ジェローム・マーコウィッツ(Jerome Markowitz) は電子回路(発振回路)による音源装置の特許を取得し、アレン・オルガンを創業した。


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