電卓
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例えば、同年5月、立石電機(現在のオムロン)が他社で89800円で販売していた機能を49800円で実現した「オムロン800」を発売し「オムロンショック」と呼ばれ[15]、すかさずシャープが「EL-801」を39800円で、カシオが「AS-8D」を38800円で発売というデットヒート状態であった[16][17][18]


1971年10月 - ビジコン ⇒141-PF発売。

世界初のマイクロプロセッサインテル4004の開発のきっかけとなった電卓。電卓も用途によってさまざまな仕様の要求があり、細かい仕様ごとにそれぞれ専用のLSIを製作していたのでは開発の労力やコストも大きなものになる。そこで、汎用のマイクロプロセッサを用い、計算プログラムで計算機の機能を実現させ、プログラムを入れ替えることで細かな要求に対応しようとする考え方が生まれた。この過程で4004が誕生する。


1972年 - ヒューレット・パッカード HP-35

ポケット関数電卓。この年カシオも同社初の関数電卓FX-1を発売(ポケットサイズではないが)。関数電卓により、機械式計算機に続き計算尺も置き換えられてゆくことになる。


1972年8月 - カシオ カシオミニ、12,800円。

スクロール可能な6桁表示12桁計算で低価格に抑え、パーソナル向けで大ヒットした。電卓の価格破壊とパーソナル化を象徴する製品。発売から1年5ヶ月ほどの間に200万台販売し、電卓は個人でも手軽に手にすることのできる時代となった。この後も、電卓の価格破壊は進み、1975年には5,000円を下回るようになった。この間に価格下落に伴うメーカーの撤退や倒産が相次ぎ、市場淘汰が進んだ結果、シャープ、カシオなど主だったメーカーに集約された。


高付加価値化 - 1970年代後半

価格下落が一段落してくると、価格競争とは別に使い勝手をよくする高付加価値化の方向でさまざまな試みが行われ、実用化されていった。液晶の採用、超小型化・薄型化(カードサイズ電卓)、太陽電池の採用、高機能化(電子辞書、電子手帳、後には携帯情報端末(PDA)へと発展した)などがある。

1971年 - ビジコンが世界初の液晶表示を採用したLC-120を1月に発表。しかし液晶の安定化に手間取り、製品化されることはなかった。

1972年 - ビジコンがLE-120Gを発売。ハードウェアはLE-120Aと同等仕様だが、筐体に純金メッキを施した装飾品として販売された。このころから装飾としての付加価値をビジコンは模索していたらしく、同年三越デパート向けにLE-120Tという円形の装飾電卓を「はんさむこんぴゅうたぁ」という愛称で発売している。

1973年 - シャープで、鷲塚諫を中心とするグループが、液晶を表示装置に使った本格的な電卓、EL-805「エルシーメイト」を開発、商品化。

この電卓は195g と、初期の20kg-30kg もある電卓や1970年頃の1kgぐらいのポータブル電卓の時代から比べても一段と小型軽量化した。また、低消費電力化が進み、電池(単3電池)で連続使用100時間もの長時間駆動ができるようになっていた。


1974年 - プログラム可能な電卓 HP-65

1976年 - 太陽電池を搭載した電卓が現れる。

シャープ EL-8026。こちらは、充電式のボタン電池と併用するタイプの電卓。その後、太陽電池だけで駆動可能な電卓も現れた。


1976年 - 米テキサス・インスツルメンツ (TI) TI-30 25$
CASIOが販売していたカード型電卓のSL-750。厚さは2mm。



世界で最も多く販売された電卓と紹介されている。電圧 9V で駆動する関数電卓。→ en:TI-30(Wikipedia英語版)


1976年 - テキサス・インスツルメンツが電卓型の児童向け学習計算機「リトル・プロフェッサー(英語版)」を発売。日本ではエポック社が「算数メイト」、シャープが「さんすう博士」として発売し、一定の成功を収めた。

超小型、薄型の電卓の登場。

1978年 - カシオ 名刺サイズ電卓「カシオミニカード」(LC-78) 発売。厚さ3.9mm、

1979年 - シャープ EL-8152。36g、厚さ 1.6mm。

1985年には厚さ0.8mm、重さ11gの電卓も出ている。すでに実用上の限界の域に到達した。


1980年 - カシオ MG-880「デジタルインベーダー」で「ゲーム電卓」のジャンルを新たに築く。当時の電子ゲーム流行の波に乗り、大手電卓メーカーから多数のゲーム電卓がリリースされた。

高機能化
電子手帳機能を持つカード型電卓のCASIO DC-665



1980年代には辞書機能やカロリー計算機能を搭載する電卓も現れた。その後、電話番号と名前が英数カナで登録できるデータバンク機能を搭載するカード型電卓が登場し、それが発展して電子手帳へ、さらにはパソコン用ソフトのアイディアも取り込みながら1990年代には携帯情報端末 (PDA) へと発展した。それとは別に電子辞書が、画面の大型化・収録コンテンツの多様化などで独自の発展を築いていった。


ポケットコンピュータとグラフ電卓の登場 - 1980年代世界最初のポケットコンピュータ SHARP PC-1210世界最初のグラフ電卓 CASIO fx-7000G

関数電卓とプログラム電卓はさらに進化して、ポケットコンピュータグラフ電卓に進化した。

ポケットコンピュータは QWERTY配列キーボードを搭載し、高級言語 BASIC が使えるため、プログラム電卓よりもプログラミングが容易であった。そのため、PCが普及する前はよく使われていた。

グラフ電卓はプログラム電卓にグラフを描画する機能が追加されたものである。プログラミング可能であるが、QWERTY配列キーボードを搭載しているものは少数派である。アプリケーションのインストールが可能だったり、CAS(数式処理システム)を搭載したものもある。タッチパネルを搭載したものまである。

1980年にSHARPが世界最初のポケットコンピュータPC-1210/1211を発売した。

1985年に世界初のグラフ電卓 CASIO fx-7000G が登場した。その後、各社が後を追った。

1986年にシャープが自社最初のグラフ電卓 EL-5200 を発売。

1987年にヒューレット・パッカードが自社最初のグラフ電卓 HP-28C を発売。

1990年にテキサス・インスツルメンツが自社最初のグラフ電卓 TI-81 を発売した。他社は工学向けだったが、本機は当初から教育向けだった。


現代 - 1990年代以降

普通電卓と事務用電卓に関しては、完全にコモディティ化する。


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