電信
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同年のその後、ガウスはボルタ電池ではなく電磁誘導起電力を利用し、一分間に7文字の信号を伝送することが出来るようにした。この二人と大学は自分たちのみで電信機を開発するには費用が不足するとして、アレクサンダー・フォン・フンボルトからも基金を得ていた。その後カール・アウグスト・フォン・シュタインハイルは1835年から1836年にかけて、ミュンヘンで電信機の設置を行い、1835年に開業された初めてのドイツでの鉄道沿いに電信用電線の敷設を行った。
オルターの電信機

1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターがペンシルベニア州エルダートンで電信機を発明した。モールスの電信機の1年前のことである。オルターは証人の前で実演したが、実用化には至らなかった[12]。Biographical and Historical Cyclopedia of Indiana and Armstrong Counties という本にオルターのインタビューが掲載されており、その中でオルターは「モールスや他の人々の電信と私のそれには全く関係がないと言っていい。モールス教授は私の電信機について聞いたことがなかったに違いない」と述べている。
クックとホイートストンによる商業化クックとホイートストンの5針電信機

電信の最初の商業化はウィリアム・フォザーギル・クック(英語版)だったとされる。クックは1837年5月にチャールズ・ホイートストンと共に警報機としての電信機の特許を取得。1837年7月25日にロンドンユーストン - カムデン・タウン間での実演を成功した[13]。そのシステムは1839年4月9日にパディントン駅からウェスト・ドレイトンまでの間、約21kmにわたってグレート・ウェスタン鉄道の線路を利用して敷設された[14]

1845年1月1日にスラウからパディントン駅に送られた下記のメッセージで、ジョン・タウェルが逮捕された。これが殺人犯逮捕で電信が役立った最初のケースといわれている。

A MURDER HAS GUST BEEN COMMITTED AT SALT HILL AND THE SUSPECTED MURDERER WAS SEEN TO TAKE A FIRST CLASS TICKET TO LONDON BY THE TRAIN WHICH LEFT SLOUGH AT 742 PM HE IS IN THE GARB OF A KWAKER WITH A GREAT COAT ON WHICH REACHES NEARLY DOWN TO HIS FEET HE IS IN THE LAST COMPARTMENT OF THE SECOND CLASS COMPARTMENT

(ソルト・ヒルで人殺しがあり、容疑者はロンドン行きの一等車の切符を入手し午後7:42にスラウを出たと見られた。脚まで届くクウェーカー教徒の茶色のコートを羽織っている。前から二両目の一等車の最後のコンパートメントにいる)

クックとホイートストンの電信システムでは句読点、小文字、一部の文字をサポートしていなかった。「Q」の文字がサポート(定義)されていなかったため、「Quaker(クウェーカー)」は「Kwaker」と綴りを変更して使用されている。タウェルは駅では逮捕されず、近くのコーヒー店で逮捕された[15]
モールス式電信

アメリカでサミュエル・モールスアルフレッド・ヴェイルが電信を発展させた[16]。モールスは1836年に独自に電信を開発し[13]、低品質な導線でも長距離を伝送可能な設計とした。科学的知見が低かったモールスに協力したヴェイルは、アルファベットを表すモールス符号の考案に関与した。

1838年1月6日、ニュージャージー州モリスタウン近郊の鉄工所で最初の実験に成功し[17]、2月8日にはフィラデルフィアのフランクリン協会(英語版)科学委員会の委員たちの前でデモンストレーションを披露した。

1843年、アメリカ議会はワシントンD.C.とボルチモア間の実験的電信線の敷設に3万ドルの予算を計上した。1844年5月1日までにワシントンD.C.からアナポリスまで開通。その日ボルチモアで開催されたホイッグ党の全国大会で、ヘンリー・クレイが大統領候補に選ばれた。このニュースは鉄道でアナポリスまで運ばれ、そこで待っていたヴェイルがワシントンD.C.にいるモールスに電信でそれを伝えた[18]。1844年5月24日に全線が開通すると、モールスはワシントンD.C.の最高裁判所からボルチモアのボルチモア・アンド・オハイオ鉄道に向けて最初の公式の電報を送った。そのメッセージは What hath God wrought である。モールスが1844年に送ったアメリカ初の電報 What hath God wrought

モールスとヴェイルの電信システムはその後20年で素早く広まっていった。その電信機で使用している強力な電磁石はヴェイルが考案したものだが、モールスは彼の名を正しく出さなかった。モールスの当初の設計では継電器もヴェイルの考案した電磁石も使っておらず、わずか40フィート(約12メートル)しか届かなかった。

これは実用的な電信システムであり、オペレータ(通信士)が電鍵で電流をオン・オフさせ、それによって受信側の音響器(英語版)がヒトが聞き取れる音を発生し、その音をヒトが聴いて解釈し書き写した。モールスとヴェイルは当初モールス符号を紙とペンで書き記し、そのマーク列を見て解釈する方式を採用したが、間もなくオペレータたちは受信機の音を耳で聴いて直接文字列に変換することを習得した。この信号を読み取って自動的に文字列を印刷する装置は一般にテレプリンターと呼ばれる。初期の大西洋横断電信ケーブルでも、このモールスのシステムが採用された。

1947年、ペンシルベニア州エリザベスタウンにほど近い州道230号線にアメリカ初の商用電信線の記念銘板がある。それによると、1845年にランカスター-ハリスバーグ間を結ぶ商用電信線が敷設されたという。1846年1月8日に開通した際の最初のメッセージは Why don't you write, you rascals? だった[19]


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