将軍家の養女は実子同様に扱われ、婚礼後も幕府より姫様方用人などの直臣の官吏が派遣される。役人から駕籠かきまで49人、女中69人に及ぶ。幕府出向者は利根姫死去以降は幕府に戻った。また、仙台藩側からも利根姫専属の御守殿付役人95人が任命された。なお、「寛政重修諸家譜」によると寛保3年(1743年)から延享2年(1745年)まで川勝光隆が利根姫様方用人を勤めている。 元文6年(1741年)刊行の武鑑での利根姫の付属官吏は以下のとおり。なお、武鑑の掲載都合により、実際とは若干の差がある場合がある。
元文六年武鑑掲載の幕府側官吏
【同(利根姫様)用達】山本又十郎
【同(利根姫様)侍衆】今井甚之丞、鈴木文次郎、萩原権九郎、馬場三左衛門、鈴木傳七郎
【同(利根姫様)台所番】清水忠次郎
脚注^ 「仙台叢書 第一巻」の『伊達略系』
^ 掲載は同書70頁。図版47号
^ 仙台藩では幕府の大奥にあたるものを、奥方と呼び、特に仙台城の奥方を中奥というと『仙台市史 通史5 近世3』にある
参考文献
堀内信『南紀徳川史 第2巻』(昭和5年(1930年)12月28日刊行)
橋本博『大武鑑 中巻』(名著刊行会)
『幕府祚胤伝』(『徳川諸家系譜』第2巻、続群書類従完成会)
『仙台市史 通史4 近世2』(平成15年(2003年)・仙台市史編さん委員会)
『仙台市史 通史5 近世3』(平成16年(2004年)・仙台市史編さん委員会)
『仙台叢書 第一巻』(仙台叢書刊行会、大正11年(1922年)発行)