雲南省はイギリス植民地のインド及びビルマ、フランス植民地のインドシナと隣接する政治地勢により、国境防衛と外交折衝を現地で行う必要があり、1929年(民国18年)11月、第一(?西)殖辺督弁署及び第二(?南)殖辺督弁署が雲南省独自の判断で設置された。
殖辺督弁署設置の事実は省政府より内政部を経由し行政院に報告され、国民党中央政治会議は省と県の中間に位置し、殖産及び国境警備、辺境地域の交通、教育等を担当する行政機関として暫定的に設置することを認可、また緊急事態における行政指揮権の付与も認められ、1938年(民国27年)に廃止となっている。 雲南省における行政督察区制度は1940年(民国29年)5月、旧普思辺区管轄地域に第1行政督察区が設置されたのが初見である。1942年(民国31年)3月、全省を7区に再編し、1945年(民国34年)には13区に再編された。
行政督察区
脚注[脚注の使い方]
歴