雪国_(小説)
[Wikipedia|▼Menu]
『雪国』というタイトルが決定したのは、最初の単行本刊行時で、有名な冒頭文の書き出しに「雪国」という言葉が現れるのもこの時点である[2]。初出誌版の「夕景色の鏡」での冒頭文は当初、〈国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなつた〉となっており、その前段にも文章があったが単行本刊行時に削除改稿された[19]。また、続編の「雪中火事」には、鈴木牧之著『北越雪譜』からの引用や参考にした文章もある[20][11]

また、作中の時系列(3度目に島村が温泉町を訪れた年)が、作者の錯誤により統一されていない部分があることが、何人かの研究者に指摘されているが、その不統一も追憶の順不同の手法によって、多くのあいまいさが許されているしくみになっているという見方と[21]、あえて川端が実際の期間(約1年間)よりも、長い年月が経ったように作品世界を提示しているという見方もある[11]
あらすじ

12月初め、島村は雪国に向かう汽車[注釈 3]の中で、病人の男に付き添う恋人らしき若い娘(葉子)に興味を惹かれる。島村が降りた駅で、その2人も降りた。旅館に着いた島村は、芸者駒子を呼んでもらい、朝まで過ごす。

島村が駒子に出会ったのは去年の新緑の5月、山歩きをした後、初めての温泉場を訪れた時のことであった。芸者の手が足りないため、島村の部屋にお酌に来たのが、三味線踊り見習いの19歳の駒子であった。次の日、島村が女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、2人は一夜を共にしたのだった(以上、回想)。駒子はその後まもなく芸者になっていた。

昼、冬の温泉町を散歩中、島村は駒子に誘われ、彼女の住んでいる踊りの師匠の家の屋根裏部屋に行った。昨晩車内で見かけた病人は師匠の息子・行男で、付添っていた葉子は駒子と知り合いらしかった。行男は腸結核で長くない命のため帰郷したという。島村は按摩から、駒子は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと聞かされるが、駒子は否定した。

島村は温泉宿に滞在中、毎晩駒子と過ごし、独習したという三味線の音に感動を覚えた。島村が帰る日、行男が危篤だと葉子が報せに来るが、駒子は死ぬところを見たくないと言い、そのまま島村を駅まで見送った。

翌々年の秋、島村は再び温泉宿を訪れた。去年の2月に来る約束を破ったと駒子は島村をなじる。あの後、行男は亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は嫌がる駒子と墓参りに行った。墓地には葉子がいた。

駒子はお座敷の合い間、毎日島村の部屋に通ってきた。忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。島村は葉子と言葉を交わし、魅力を覚えた。東京に行くつもりの葉子は、島村が帰るときに連れて行ってくれと頼み、「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と言った。葉子は死んだ行男をまだ愛しているようだった。「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と葉子は泣きながら言った。葉子が帰った後、島村はお座敷の終った駒子を置屋(駄菓子屋の2階に間借り)まで送ったが、駒子は再び島村と旅館に戻り、酒を飲む。島村が「いい女だ」と言うと、その言葉を誤解し怒った駒子は激しく泣いた。

島村は東京の妻子を忘れたように、その冬も温泉場に逗留を続けた。天の河のよく見える夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になり、島村と駒子は駆けつけた。人垣が見守る中、一人の女が繭倉の2階から落ちた。落ちた女が葉子だと判った瞬間にはもう、地上でかすかに痙攣し動かなくなった。駒子は駆け寄り葉子を抱きしめた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように島村には見えた。駒子は「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」と叫んだ。
登場人物
島村
東京の下町出身。親の遺産で無為徒食の生活を送り、
フランス文学ヴァレリイアラン)や舞踊論の翻訳などをしている「文筆家の端くれ」。子供の頃から歌舞伎になじみ、以前は日本舞踊研究に携わっていたが、ふいに西洋舞踊研究に鞍替えした。旅・登山が趣味。東京に妻子あり。小肥りで色白。
駒子
19 - 21歳。
の輪のようになめらかに伸び縮みする美しい唇。清潔な印象の女。東京に売られ、お酌をしていて旦那に落籍されたが、まもなく旦那が亡くなり、17歳で故郷の港町に戻った。島村と初めて会った直後の19歳の6月に芸者に出た。病気の許婚のために芸者になったらしい。17歳から続いている旦那が港町にいるが別れたいと思っている。
葉子
哀しいほど美しい声の娘。駒子の住む温泉町出身の娘で、駒子の許婚という噂の行男を帰郷の列車で甲斐甲斐しく看病する。行男と恋人同士らしい。東京で看護婦を目指していたことがある。肉親は、
国鉄に勤めはじめた弟が一人。地元に伝わる手鞠歌などを美しい声で歌う。
行男
26歳。病人。駒子が習っている踊の師匠の息子。駒子と幼馴染。港町で生まれ、東京の夜学に通っていたが、
腸結核を患い帰郷する。駒子の許婚という噂だが、駒子は否定。親の師匠は50歳前に中風になり、港町から故郷の温泉町へ戻った。
佐一郎
葉子の弟。鉄道
信号所で働いている少年。貨物列車から姉を見つけて、帽子を振って呼ぶ。
温泉町の人々、他
宿屋の番頭、主人、おかみ、女中。芸者たち。宿の幼女。按摩の女。鉄道信号所の駅長。列車の乗客。ロシア女の物売り。置屋の駄菓子屋の家族。運転手。「の産地」の町のうどん屋の女。
作品評価・研究

『雪国』は川端文学を代表する名作と呼ばれている。海外でも評価は高く、川端が受賞したノーベル文学賞の審査対象となった作品でもある[19]。また書かれた当時は、日本国外にいる日本人が故国の郷愁を誘う作品として愛されていたという[22][20]。川端はそのことについて以下のように語っている。私の作品のうちでこの「雪国」は多くの愛読者を持つた方だが、日本の国の外で日本人に読まれた時に懐郷の情を一入(ひとしお)そそるらしいといふことを戦争中に知つた。これは私の自覚を深めた。 ? 川端康成「あとがき」(完本『雪国』)、「独影自命――作品自解」に再録[22]

小林秀雄は、「火の枕」の章が発表された時点で、作品の主調を形成しているものを川端の「抒情性」として、その本質を以下のように解説している[23]。こゝに描かれた芸者等の姿態も、主人公の虚無的な気持に交渉して、思ひも掛けぬ光をあげるといふ仕組みに描かれてゐて、この仕組みは、氏の作品のほとんどどれにも見られるもので、これはまた氏の実生活の仕組みであるのだ。
川端氏の胸底は、実につめたく、がらんどうなのであつて、実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも思つてゐる。氏はほとんど自分では生きてゐない。他人の生命が、このがらんどうの中を、一種のをあげて通過する。だから氏は生きてゐる。これが氏の生ま生ましい抒情の生れるゆゑんなのである。作家の虚無感といふものは、こゝまで来ないうちは、本物とはいへないので、やがてさめねばならぬに過ぎないのである。 ? 小林秀雄「作家の虚無感―川端康成の『火の枕』―」[23]

伊藤整は、『雪国』の「抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、心理のきびしさのをつかむという道」という「美の精神」は、『枕草子』や俳諧などの脈に通じているとし、その日本の抒情の古典は、川端の『雪国』において「新しい現代人の中に、のように完成して中空にかかった」と評している[24]。そして『雪国』の随所や終結部に見られる微妙な描写の特徴的な手法は、「現象から省略という手法によって、美の頂上を抽出する」という仕方をとっているため、「初歩の読者はそこに特有の難解さを感じ、進んだ読者は自己の人間観の汚れを残酷に突きつけられる。そういう点からは、大変音楽的な美しさと厳しさを持っている」と解説している[24]

福田和也は、『雪国』を「20世紀10大小説の一作」[25]、「ヨーロッパの世紀末文学の理想、ボードレールワイルドリラダンが求めて果たさなかったデカダンの理想を実現してしまった作品」だと評し、以下のように解説している[26]。デカダンスにはいろいろな見方があると思いますが、近代的人間性を徹底的に否定するインヒューマニティ、その残酷さが持っている美を極限まで押し進めるとあの小説の世界になるのだと思いますね。主人公の設定もそうですし、それから自然の描写ですね。人間性をはっきり拒絶したところから出てくる自然を描いていて、メタリックといってもいいような突き抜けた力があって、ニヒリズムすら必要としない無情さが溢れている、これは本当におそろしい作家がいるという感覚を持ちました。 ? 福田和也「本人もコレクションもおそろしい」[26]

三島由紀夫は、『雪国』の冒頭の汽車の窓ガラスの反映描写を、「川端文学の反現実的なあやしさが、一つの象徴としてかがやいてゐる」とし、それはあたかも「哲学書の序論」で、「各種の哲学用語」が定義されているように「全篇の序曲」となり、この作品の中における「人物」「風景」「自然」「事件」が何であるかが、「あらかじめ提示され、ひそかに答へ尽くされてゐる」と説明している[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:99 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef