雪印乳業
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2009年(平成21年)10月1日 - 日本ミルクコミュニティと共同で、株式移転による共同持株会社雪印メグミルク株式会社」を設立して経営統合。

2010年(平成22年)

7月31日 - クエーカーオーツカンパニー社との業務提携解消に伴い、当社で製造・販売されていた「クエーカーオートミール」をはじめとする「クエーカー」ブランド製品の製造・販売を終了。


2011年(平成23年)4月1日 - 日本ミルクコミュニティと共に、雪印メグミルクに吸収合併された。86年の歴史に幕。 ウィキニュースに関連記事があります。「雪印乳業」社名消える 来春雪印メグミルク傘下の乳業メーカー2社合併

社史・記念誌

雪印・メグミルクでは以下の10冊を発行している。

雪印乳業史第1巻(雪印乳業・編)1960年11月発行、712ページ。

雪印乳業史第2巻(雪印乳業・編)1961年2月発行、486・96・51ページ。

雪印乳業史第3巻(雪印乳業・編)1969年3月発行、585ページ。

雪印乳業史第4巻(雪印乳業・編)1975年5月発行、738ページ。

写真でみる雪印乳業五十年(雪印乳業総務部社史編纂室・編)1975年12月発行、291ページ。

雪印乳業史第5巻(雪印乳業・編)1985年4月発行、717ページ。

雪印乳業沿革史(雪印乳業・編)1985年4月発行、203ページ。

雪印乳業史第6巻(雪印乳業・編)1995年4月発行、812ページ。

日本ミルクコミュニティ史(雪印メグミルク・編)2014年8月発行、663ページ。

雪印乳業史第7巻(雪印メグミルク・編)2016年8月発行、981ページ。

不祥事・事件
雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件詳細は「雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件」を参照

1955年(昭和30年)に、東京都で学校給食に使用された脱脂粉乳による集団食中毒事件が発生した。前年、北海道八雲町の工場内で、たまたま停電と機械故障が重なる日があった際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が加温状態にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされる。

雪印乳業は事件発覚後、即座に謝罪と製品回収などといった対応措置を展開し、リスクマネジメントの観点からは当時の水準を大幅に上回る措置を行ったことで、企業イメージの打撃を最小限に抑えることに成功した(むしろ、長期的には企業イメージの向上に繋がったといわれている)。
雪印集団食中毒事件詳細は「雪印集団食中毒事件」を参照

2000年(平成12年)の6月から7月にかけて、雪印乳業大阪工場で製造された乳飲料によって、近畿地方で集団食中毒が発生した。食中毒の原因は北海道広尾郡大樹町にある大樹工場で製造された低脂肪乳の主原料だった脱脂粉乳製造時の停電事故による毒素(エンテロトキシン)の発生にあった。

45年前に起きた雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件と同様の事件だが、迅速な対応を行った45年前と異なり、安全文化の風化や責任回避に走る企業体質が一因となり、当事件での雪印乳業の対応は後手後手に回った。結果、雪印グループの企業イメージは大打撃を被り、2年後に起きた雪印牛肉偽装事件と合わせて、雪印グループ解体の主要因となった。
雪印牛肉偽装事件詳細は「雪印牛肉偽装事件」を参照

2002年(平成14年)には、ハムソーセージなどの肉製品の製造・販売を行っていた子会社雪印食品による雪印牛肉偽装事件BSE対策として、農林水産省が疑いのある牛肉を買い上げる補助金制度を悪用)が発覚した。

雪印集団食中毒事件の発生直後に発覚したことで、食中毒事件からの再出発を図ろうとしていた雪印グループは再び大打撃を被り、グループ全体が会社存続の危機に立たされ、事業全体の再編成を余儀無くされる結果となった。さらに、雪印食品から発生した問題は、日本の農畜産業に内在する不正隠匿体質を暴露する結果となったり、グループ創業の地である北海道の農畜産業までもが存亡の危機にまで追い込まれるなどしたため、単なる食品メーカー1社の不祥事では済まされなかった。

支援企業については国内外から候補が上がったが、所轄官庁である農林水産省の意向で国内企業を主体とすることとなり、主に農協系(メインバンクの農林中央金庫及び全農)が主体となって経営再建の支援をすることとなった。
再編

各事業部門毎に、他社との提携・分社化により再編された。

乳食品事業(
バターマーガリンチーズ)は、雪印乳業が継承した。

市乳事業(牛乳乳飲料ヨーグルト)は、全農全酪連( ⇒ジャパンミルクネット)の市乳事業との事業統合により日本ミルクコミュニティ(ブランド名:メグミルク)となり分社。その後2009年(平成21年)10月1日に、雪印乳業と経営統合し雪印メグミルクを設立した。さらに2011年4月1日には、雪印乳業・日本ミルクコミュニティの両社とも、雪印メグミルクへ吸収合併された。

アイスクリーム事業は、ロッテとの合弁会社ロッテスノーとして分社。後にロッテの完全子会社ロッテアイスとなり、2018年4月ロッテに吸収合併された。

冷凍食品事業は、雪印冷凍食品として分社後、暫くしてアクリフーズに社名変更。後にニチロに売却され、グループ企業と共にマルハニチロ水産(現:マルハニチロ)に吸収される。

育児品事業(育児用粉乳やベビーフードなど)は、大塚製薬が支援する形でビーンスターク・スノー(現:雪印ビーンスターク)として分社。

経腸栄養剤事業は、大塚製薬が主導する形でイーエヌ大塚製薬として分社。

物流子会社は、雪印物流に一元化される。


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