1953年にヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞を受賞した(金獅子賞は該当なしだったため実質的にはこの年の最優秀作となった[3])のを機に、1954年にアメリカ、1959年にフランスで公開されるなど海外でも上映され、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』が発表した年間トップ10
(英語版)では1位に選ばれるなど賞賛された[4][5]。この作品もほかの溝口作品と同様に、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットなどのヌーヴェルヴァーグの映画人に大きな影響を与えた。その後も批評家や監督から高い評価を受けている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには27件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は9.45/100となっている[6]。映画批評家のロジャー・イーバートはこの作品を「すべての映画の中でもっとも偉大な作品の一つ」と評しており、最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている[7][8]。マーティン・スコセッシはお気に入りの映画の1本にこの作品を選んでいる[9]。BFIの映画雑誌『Sight & Sound』が10年毎に発表する史上最高の映画ベストテン(英語版)では1962年と1972年の2度のランキングでベストテンに選ばれた[10][11]。また2012年のランキングでも批評家投票で50位、監督投票で67位に選ばれており、監督ではスコセッシ、マノエル・ド・オリヴェイラ、ミカ・カウリスマキらが投票した[12]。2005年に『タイム』が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている[13]。 賞部門対象結果 年媒体・団体部門順位
受賞
第14回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞
イタリア批評家賞受賞
第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞(白黒映画部門)甲斐庄楠音ノミネート
第27回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン3位
毎日映画コンクール美術賞伊藤熹朔受賞
録音賞大谷巌受賞
第4回文部省芸能選奨宮川一夫受賞
ランキング
1959年キネマ旬報日本映画60年を代表する最高作品ベスト・テン15位
1979年日本映画史上ベストテン17位
1989年日本映画史上ベストテン8位
1995年日本映画 オールタイム・ベストテン12位
世界映画 オールタイム・ベストテン38位
1999年オールタイム・ベスト100日本映画編10位[14]
2009年オールタイム・ベスト映画遺産200日本映画篇23位[15]
1962年英国映画協会『Sight&Sound』誌批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン4位
1972年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン10位
1982年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン21位
1992年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン17位
2002年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン27位
2012年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン50位
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン67位
1989年文藝春秋大アンケートによる日本映画ベスト15012位
1998年Cinemaya
2000年ヴィレッジ・ヴォイス20世紀の映画リスト29位
2008年カイエ・デュ・シネマ史上最高の映画100本16位
2010年トロント国際映画祭エッセンシャル10017位
2018年BBC史上最高の外国語映画ベスト10068位[17]
その他
この作品がヴェネツィア国際映画祭に出品されたのを機に溝口は1か月間滞欧した。同行した田中絹代によると、賞が取れなければ日本へ帰らずイタリアで映画の勉強をし直すと息巻くほど切望した受賞であった[18]。
公開後50年と監督没後38年の両方を満たす条件の著作権の保護期間が完全に終了したことから、現在激安DVDが発売されている。