雨宮処凛
[Wikipedia|▼Menu]
2011年には、新宿ロフトで「雨宮処凛presents 『バンギャル ア ゴーゴー』を2回にわたって開催。

VOL.1の出演バンドはMix Speaker’s,Inc.[12]とダウト[13][14]VOL.2の出演バンドはBORN、ALSDEAD、defspiral[15][16]
オウム事件真相究明の会

2018年6月4日に立ち上げ記者会見を行った「オウム事件真相究明の会」では、呼びかけ人として名前を連ねた[17]。他の呼びかけ人は森達也宮台真司田原総一朗など。賛同人には岩井俊二是枝裕和中村文則などが名を連ねた。

オウム真理教について雨宮は、右翼活動家であった若い頃に一定のシンパシーを感じていた事を告白している[18]。後にこの頃を振り返って、「不謹慎を承知で書くと、私はあの事件に、というか『オウム』という存在に熱狂した一人だ」、「事件後、私はオウム信者たちと接触していくようになる。事件をきっかけに脱会した信者が出演するイベントなどに通うようになった私は、彼らと出会ってすぐに意気投合した」と書いており、事件後の1997年に元オウム真理教信者の2人と右翼団体に入ったことを回想している[19]

雨宮は「オウム事件真相究明の会」立ち上げ記者会見から2日後、「『あれだけの凶悪事件を起こした奴らなのだから一刻も早く死刑にしなければ』という意見の人もいるだろう。が、ここで問いたいのは、すべての裁判が終結した現在、オウム事件の動機を含めた真相、全貌が解明されたと言えるだろうか、ということだ」、「なぜ、地下鉄にサリンが撒かれたのか。なぜ、あれだけ多くの人の命が奪われ、多くの人が人生をメチャクチャにされなければならなかったのか。なぜ、一介の宗教団体があのような事件を起こすに至ったのか」、「これらの問いに裁判が答えたのかと問えば、答えは明らかにNOである」、「あのような事件を二度と起こさない。再発防止のためにこそ、真相究明は必要なのだ」と書いている[20]

この会の立ち上げに関わったことにより、雨宮がデビュー前のフリーター時代、自殺未遂者として受けたインタビューでのオウムに関する発言が炎上。バッシングを受けることになる。20年以上前の発言によって非難を受けることについては、イミダスの連載「生きづらい女子たちへ」のなかで「20年以上前の言動を『徹底総括しろ』と言われたら」と題して執筆している[21]
相模原事件・植松死刑囚との関わり

2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件の裁判を傍聴し、2020年7月、『相模原事件・裁判傍聴記「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』を出版。

裁判中に被告の植松と横浜拘置支所で接見し、その模様を記している[22]
政治活動
麻生内閣の倒閣運動

当時の麻生太郎内閣総理大臣を非難し、反貧困ネットワーク湯浅誠らと麻生の私邸前で無許可の集団示威行動を計画する[23]が、参加者の3名が道路交通法違反で逮捕されて、計画は頓挫した(麻生邸見学ツアー逮捕事件)。この活動は2回目も計画されていたが「警察からの弾圧」を理由に中断された[24]

しかし、亀井静香国民新党代表と鈴木宗男新党大地代表を世話人として、参加者の逮捕を不当とする院内集会を開催し[25]、逮捕者の解放を警察に迫った。その後も、「麻生を倒せ!ないかくだとうデモ(2009年3月8日開催)」ではリポーター役を務める[26]など、麻生内閣の倒閣運動に奔走した。
宇都宮健児を支援

2012年東京都知事選挙2014年東京都知事選挙では脱原発、反貧困その他の政策から宇都宮健児を支援。2014年東京都知事選挙では脱原発を訴えた宇都宮及び細川護煕の落選を受けて、池田香代子香山リカとともに「トーキョー・ノーサイド!実行委員会」を立ち上げた[27]
安倍内閣の倒閣運動

しんぶん赤旗で、2015年1月17日に国会ヒューマンチェーン「女の平和」と題し、国会を赤い服を着た人間の鎖で囲むとして、吉良佳子横湯園子(元中央大教授)、藤原真由美(日弁連憲法問題対策本部副本部長)、坂本洋子(mネット・民法改正情報ネットワーク理事長)、辛淑玉のりこえねっと共同代表)らとともに、安倍晋三首相に「レッドカード」を突きつけるデモに参加することが報じられている[28]
山本太郎を支援

2016年6月、参院選に出馬した三宅洋平への応援メッセージの中で、間接的に山本太郎の支援を表明している。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}国会に、あと10人の山本太郎がいれば日本は変わる。

「太郎くんを一人にできない」と立ち上がった三宅洋平氏を、
みんなの力でその一人目に!!—雨宮処凛 / 作家・活動家、『著名人からの三宅洋平応援メッセージ』[29]

2019年参院選に際し、山本太郎の記事の中で、政治の素人だった頃から本人を支え、「国会議員・山本太郎の製造責任者の一人」であると語っている[30]
評価

逆に左翼からファシズムに転向した
外山恒一は「(雨宮は)単に「自分探し」をしてただけで、その過程でたまたま視野に入ったのが右翼方面の人だった。いったん飛び込めばいろんな人と知り合うし、彼女の場合は左翼系の人が面白がって近づいてきて、左右交流≠フ中でいよいよ勉強して左傾した、という(笑)。自分のことだけでなく社会のことを考えるようになって、左翼になったわけで、雨宮処凛の本当の政治的履歴は左傾して以降≠ノ始まるんだよね。「ミニスカ右翼」時代は単に「自分探し」時代で、自分≠フことしか考えてなかった(笑)。もちろんこれは批判的に云ってるわけではなく、それでいいと思います。」と評している[31]


韓国の第19代大統領文在寅(ムン・ジェイン)は、雨宮の『生きさせろ! 難民化する若者たち』を読み、韓国の若者社会を考える際に、とても参考になったと言っている[32]

著作
ノンフィクション

『生き地獄天国』(
太田出版2000年)のちちくま文庫 

『自殺のコスト』(太田出版、2002年

アトピーの女王』(太田出版、2002年)

『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎2003年)のち文庫 

『EXIT』(新潮社、2003年)

『戦場へ行こう!! 雨宮処凛流・地球の歩き方』(2004年

『すごい生き方』(サンクチュアリ・パブリッシング、2006年)

『右翼と左翼はどうちがう?』(河出書房新社〈14歳の世渡り術〉、2007年

『右翼と左翼はどうちがう?』河出文庫、2014年。ISBN 978-4-309-41279-5


『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版、2007年)

プレカリアート:デジタル日雇い世代の不安な生き方』(洋泉社〈新書y〉、2007年)

『全身当事者主義 死んでたまるか戦略会議』(対談集)(春秋社2008年

『雨宮処凛の闘争ダイアリー』(集英社、2008年)

『怒りのソウル 日本以上の「格差社会」を生きる韓国』(金曜日、2008年)

『プレカリアートの憂鬱』(講談社、2009年)

『「生きる」ために反撃するぞ! 労働&生存で困った時のバイブル』(筑摩書房、2009年)

『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書、2009年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef