難波村_(大阪府)
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4576戸が焼失[6]
近代 - 戦後(町・区の再編)

1925年大正14年)、難波新地を除く28町は新設された浪速区へ編入され、同時に難波の冠称を廃した。1943年昭和18年)には南区と浪速区の境界変更が行われ、河原町北部が南区へ編入された。さらに戦後になって、1967年(昭和42年)には反物町が桜川へ編入された。そして1980年(昭和55年)に浪速区が、1982年(昭和57年)に南区が現在の住居表示を実施。1989年平成元年)に南区が東区と統合されて中央区となり、現在に至る。

このように現在ではもと難波新地・河原町・新川・蔵前町といった繁華街の範囲だけを指すことが一般的になっているが、歴史的にも現在の地域区分としても難波は繁華街以西の木津川付近までの地域を含む地名である。
2000年代以降の再開発事業

2000年代以降、南海難波駅周辺は再開発が活発な地域となっている。かつて南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)の本拠地であった大阪球場の跡地は大型複合施設なんばパークスが開業し賑わいを見せている。また2007年4月には第2期部分が完成し、大阪市内最大級のシネマコンプレックス「なんばパークスシネマ」が新設された。一方、難波駅前の南街会館跡地には、丸井TOHOシネマズが入居するなんばマルイ2006年9月22日にオープンし、2000年代後半にかけて難波における映画館の数が一気に増えることになった。

また島屋大阪店(本店)は、既存の本館の改修と新館の増床により、分散しているブランド品と洋品雑貨売り場、レストランをそれぞれ集約・拡張、2011年3月3日にグランドオープンした。増床面積は2万2000平方メートルで、従前の店舗面積と合わせると7万8000平方メートルとなり、西日本最大級の百貨店へと変貌した。高島屋はまた2007年に完成したなんばパークス2期の専門店街のプロデュースも行い、ミナミの集客作戦に大規模な投資をしている。

2012年以降は、政府による観光客誘致を目的とした訪日外国人を対象としたビザの緩和や、関西国際空港における格安航空会社 (LCC) の就航が相次いだこともあり、南海電車で直接アクセスできる難波を中心としたミナミへ外国人観光客が多く訪れるようになった。この客層の消費や宿泊需要を取り込むために、ドラッグストアホテルの出店が相次いでいる。近年の店舗や施設開発にもその影響が反映されており、2018年に南海電気鉄道の旧本社である南海会館ビル跡に開業した複合施設なんばスカイオ2019年に開業したエディオンなんば本店など、訪日客の関心を持つ日本文化やサービス・製品を体験できる施設がオープンしている[7][8]
世帯数と人口

2019年3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
難波一丁目17世帯34人
難波二丁目14世帯19人
難波三丁目18世帯34人
難波四丁目・五丁目49世帯77人
計98世帯164人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。1995年(平成7年)429人[9]
2000年(平成12年)443人[10]
2005年(平成17年)184人[11]
2010年(平成22年)235人[12]
2015年(平成27年)184人[13]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。1995年(平成7年)218世帯[9]
2000年(平成12年)261世帯[10]
2005年(平成17年)90世帯[11]
2010年(平成22年)127世帯[12]
2015年(平成27年)104世帯[13]

事業所

2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]

丁目事業所数従業員数
難波一丁目244事業所2,286人
難波二丁目151事業所3,319人
難波三丁目257事業所4,763人
難波四丁目282事業所3,600人
難波五丁目434事業所6,911人
計1,368事業所20,879人

主な施設
商業施設・商店街・地下街

繁華街ミナミの中心地である難波は老舗百貨店や専門店・ファッションビルといった商業施設や、大阪を代表する食文化であるお好み焼きや串カツなどを提供する飲食店が多数集積しており、地元の人や国内外の観光客で賑わっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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