日本では一定規模の建造物と敷地を有するものを離宮とし、小規模のものを御用邸と称している。また、明治以前には上皇や法皇の譲位後の離宮として「後院」と呼ばれる離宮が築かれて専属の役人が置かれた。なお、平安時代の天皇の追号には後院の名称に由来するものが多い。また、幕末から明治にかけて天皇家の子供たちの夭折があまりにも多いことから明治16年(1883年)に侍医らが連名で改善案をまとめた上申書を提出し、その中に避暑のための離宮の建設があったことから、箱根離宮、日光御用邸が建設された[11]。
東洋の離宮
中国
中南海 - 紫禁城の西側にあり、現在は中国共産党の中枢の建物群がある。
頤和園
円明園
避暑山荘
瀋陽故宮 - 清
華清宮
興慶宮
長楽宮
銅雀台
瑤華宮
雍和宮
西垂宮
平陽封宮
梁山宮
長安宮
黄陽宮
望夷宮
林光宮
歩壽宮
歩高宮
蘭池宮
日本
現存する離宮
桂離宮:京都府京都市
修学院離宮:京都府京都市
かつて存在した離宮
赤坂離宮:東京都港区 - 明治時代に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の東宮御所として建てられた。戦後は国立国会図書館(1948年?1961年)、法務庁法制意見長官(1948年?1960年)、裁判官弾劾裁判所(1948年?1970年)、内閣憲法調査会(1956年-1960年)、東京オリンピック組織委員会(1961?65年)などに使用された後、迎賓館に改装され現在に至る。
霞関離宮(現在の国会前庭南地区):東京都千代田区 - もともとはジョサイア・コンドルの設計により1884年(明治17年)に竣工した有栖川宮邸であったが、1896年(明治29年)11月24日、宮内省の懇望により買い上げられ、以後「霞関離宮」と称した。おもに外国使節の宿舎として使用され、大正時代には摂政となった皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)の東宮仮御所としても用いられた。1945年(昭和20年)5月、東京大空襲で被災し、戦後取り壊された。