離婚
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「七出」とは、もともと律令に定められた「夫の一方的な意思により離婚できる7つの事由」[戸令のことで、舅姑に従わない、子ができない、姦通、言い争いが多い、盗み、嫉妬深い、たちの悪い病気の7つであり、また、「三不去」は(七出に該当しても)「離婚できない3つの事由」のことで、舅姑の喪に3年間服した、貧しい時に嫁いでのちに豊かになった、帰る所がないの3つである[34]。「皆夫手書棄之」では、離婚する場合は夫側が「手書」と呼ばれる書状を作成しなくてはならないとされているが、実際の離婚状は日本では見つかっていない[34]。日本古代の場合、女性の離婚に対する自主性(主導権)は高かったとされるが、「男女双方に離婚権はあったが男性側の主体性が高かった」とする研究者もいる[34]

令集解』「戸令結婚条」の記述として、「同里(隣り合った2、3里の集落範囲)内で、男女が3ヵ月以上行き来しなければ、離婚とみなす」とあり、これは経済関係を夫婦関係とは別の所にもっていたことに加え、親族による育児など相互協力の機能していたからとみられる[35]
前近代[ソースを編集]

日本では夫婦のまま長生きする「共白髪」を理想とはしながらも夫婦が分かれることも当然にあり得ることと考えられ[13]、また、西欧のように教会法における婚姻非解消主義の影響を受けることがなかったため、法制上における離婚の肯否そのものが議論となったことはないとされる[7]

ただし、日本では離婚そのものは認められてきたものの、律令制のもとで定められた七出や三不去、また、後には三行半の交付による追い出し離婚など、いずれも男子専権離婚の法制であったとされる[36][37][9][38]。だが実際には、江戸時代の離婚は、現在と同様に協議離婚が殆どであり、離婚するにあたっては夫が妻に三行半を差出すことが義務付けられ、三行半がない離婚は処罰の対象とされた。

離婚権のなかった女性にとって江戸時代までは尼寺が縁切寺としての役割を果たし、一定期間その寺法に従えば寺の権威によって夫側に離縁状を出させる仕組みとなっていた[7][39][40]北条時宗夫人である覚山尼は鎌倉に東慶寺を創建して縁切寺法を定め、三年間寺へ召し抱えて寺勤めをすることで縁切りが認められるとしていた[41]。また、寺院の縁切寺と同様に神社にも縁切り稲荷と呼ばれる神社が存在した。榎木稲荷(東京)、伏見稲荷(京都)、門田稲荷(栃木)が日本三大縁切稲荷とされている[42]

江戸時代には女性が現金収入を得る手段である養蚕地帯において離縁状が数多く残されている。

妻側からの離婚請求が認められるようになったのは1883年(明治6年)の太政官布告からである[9]。ただし、前近代の全ての時代で、男性優位の離婚だったわけではなく、ルイス・フロイス日本史によれば、戦国時代の日本の女性は自由に離婚が可能であり、また何回離婚しても、何回妊娠して堕胎しても、社会的に問題はなかったとされる[43]
近代以降[ソースを編集]

明治民法の起草時においても離婚制度を設けることそのものについて異論は出ず、また、離婚の形態についても法典調査会で検討されたものの日本人は裁判を望まない気風であり協議の形で婚姻を解消できる制度の必要性が挙げられ、協議離婚を裁判離婚と並置する法制がとられるに至ったとされる[44]。1898年(明治31年)7月16日に施行された明治民法第813条では十の具体的離婚原因[45]を列挙されたが、それらの有責行為を犯した配偶者に対しては一方の配偶者は離婚を提訴できるが、それ以外の裁判離縁は認めないとした。これらには立法としては旧来の追い出し離婚を排斥するという意味があるが、社会的な事実においても当事者の自由意思による離婚が行われていたか否かという点については別に問題となる[7][9]

日本の近代離婚法は、また旧法時から公的審査を要件とせず、夫婦関係が破綻して離婚の合意さえあれば、役所への離婚届の届出で簡単に離婚出来ることから、既に破綻主義的な要素を含んでおり、この点は、1970年代になって破綻主義が一般化した欧米諸国と比較すると、驚くべき特徴である[46]

大正時代に世間を騒がせた離婚として、1915年に愛人との同棲のために妻に別居と離婚を求めた作家の岩野泡鳴に対し、妻の清子が同居請求と妻子の扶養料要求訴訟を行い、妻が勝訴し、夫の離婚請求が敗訴となった一件があった[47]。清子は判決において民法第789条の「夫婦同居の規定」が「強制規定と解す可く」とあったことに満足し、「夫婦同居の権利義務は、夫権の行使を妨げざる範囲内に於て、全く平等にして差等あるものに非ず」という判断が下されたことを評価し、岩野清子は「法律の認めたる妻の権利」という一文を発表した[47]
国際私法における離婚(渉外離婚)[ソースを編集]

国際結婚の増加と共に、国際離婚も増加傾向にある。日本における届け出によれば、平成18年の離婚件数25万7475件のうち、夫妻の片方が外国人であったのは1万7102件(6.6%)であった[48][49]

日本では協議離婚の制度が認められているが、離婚するか否かを当事者の完全な意思に委ねる制度を採用する国は比較的少数であり、離婚そのものを認めない国、一定の別居期間を経ないと離婚が認められない国、行政機関裁判所による関与を要求する国などがある。

このように国によって離婚の要件や手続(特に手続に国家が関与する方法・程度)が異なるため、ある国での離婚の効力が、別の国では認められないこともありうる。例えば、裁判による離婚制度しか存在しない国では、当事者の意思に基づく協議離婚はありえないから、日本で成立した協議離婚の効力が認められるとは限らないし、裁判所が関与する調停離婚についてもその効力が認められる保障がない。

このような事情があるため、裁判離婚しか認めていない国の国籍を有する者が日本で離婚する場合は、離婚の準拠法の問題もあり、当事者による離婚の合意ができている場合でも、前述の審判離婚や裁判離婚をする例が少なくない。

千葉前法務大臣は、アメリカ合衆国などの要請を受けて[50]国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(ハーグ条約)の批准を前向きに検討していると述べた。


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