離婚
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ペトルス・ロンバルドゥス命題集』4.31は、配偶者が姦通して離れた場合でも再婚してはならないとしている[23]
プロテスタント教会

ウェストミンスター信仰告白は相手が姦淫の罪を犯した場合にのみ離婚を認めている。潔白な方は罪を犯した配偶者を死んだ者として扱う。マーティン・ロイドジョンズも『結婚することの意味』(いのちのことば社)において、離婚が認められる唯一の理由は、相手の姦淫だと断言している。モーセの時代の『司法律法』で姦淫は死刑になるため、離婚ではなく、死刑によって結婚が終了した[24]

ジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』4篇19章「5つの偽りの聖礼典」の37「ローマ教会の婚姻に関する無意味な規定」で相手が姦通の罪を犯したために離婚しても、再婚してはならないとするローマ教会の規定を「迷誤を隠蔽」し専制を行っているとして批判している(中山昌樹渡辺信夫の翻訳による)。
近代以降

近代以降、西欧においては離婚の法的規律は教会によるものから国家によるものへと移行した(婚姻の還俗化)[25][26][7][13]。そこでも当事者の合意による婚姻の解消には消極的であり、配偶者の一方に夫婦間の共同生活関係の継続を困難にさせるような有責行為がある場合に限って、有責配偶者への制裁として、その相手方からの離婚請求のみを認める有責主義(主観主義)がとられ、現在でもカトリック教国でこの法制をとる立法例が多いとされる[25][27]

これは根本では「現在ある人間関係を維持する」ことを意識している。同意のない離婚を事実上不可能にし、離婚の選択権を、離婚の原因(落ち度)の無い配偶者にゆだねている。これによって、配偶者が現在の人間関係を続けることを望めば、離婚できないようにしている[28]

その後、自由主義の浸透とともに1960年から1970年代にかけて欧米では次々と離婚法改正が図られ、夫婦間の共同生活関係が客観的に破綻している場合には離婚を認める破綻主義(客観主義・目的主義)への流れを生じるに至ったとされる[25][7][9][13]
イスラム世界の離婚史詳細は「en:Divorce in Islam」および「離婚 (クルアーン)」を参照
エジプト

多くのイスラム諸国同様、夫が宣言するだけで成立する「口頭離婚」という慣習が古くから存在する。世俗主義的なシーシー政権は2017年に認めない方針を示したが、イスラム教指導者が容認している。逆に妻が離婚を望んで夫が拒否した場合は、妻が裁判所で正当な理由を証明する必要がある。このため夫婦喧嘩で夫を怒らせて離婚を口にさせ、離婚に持ち込む女性もいる[29]
インド
詳細は「en:Triple Talaq in India」を参照

インドのイスラム教徒には古来、Talaq(タラーク、離別の意)を3回唱える。もしくはタラークを3回書いた手紙などで伝えると離婚できるとしている。この3回意志表明することをトリプルタラークと呼ぶが、一方的で女性の人権を脅かしてると考えた人権家達によって、インド最高裁判所に「時代遅れ」だと公益訴訟(Public interest litigation)が起こされた。2017年5月13日に、法律で「最悪の離婚形態」であると規定された[30][31]

また、この慣習はサウジアラビアモロッコアフガニスタンパキスタンなどのムスリムが多数を占める国々でも禁止されている[32][33]
日本における離婚史
古代

「離婚」という言葉自体は、中国の歴史書『晋書』刑法志に「?丘倹之誅、其子甸妻、(中略)詔聴離婚」とあり、これが言葉としての最初とされる[34]。離婚に関する規定としては、日本養老令戸令七出条に「皆夫手書棄之」があり、「七出」「三不去」などが定められた。「七出」とは、もともと律令に定められた「夫の一方的な意思により離婚できる7つの事由」[戸令のことで、舅姑に従わない、子ができない、姦通、言い争いが多い、盗み、嫉妬深い、たちの悪い病気の7つであり、また、「三不去」は(七出に該当しても)「離婚できない3つの事由」のことで、舅姑の喪に3年間服した、貧しい時に嫁いでのちに豊かになった、帰る所がないの3つである[34]。「皆夫手書棄之」では、離婚する場合は夫側が「手書」と呼ばれる書状を作成しなくてはならないとされているが、実際の離婚状は日本では見つかっていない[34]。日本古代の場合、女性の離婚に対する自主性(主導権)は高かったとされるが、「男女双方に離婚権はあったが男性側の主体性が高かった」とする研究者もいる[34]

令集解』「戸令結婚条」の記述として、「同里(隣り合った2、3里の集落範囲)内で、男女が3ヵ月以上行き来しなければ、離婚とみなす」とあり、これは経済関係を夫婦関係とは別の所にもっていたことに加え、親族による育児など相互協力の機能していたからとみられる[35]
前近代

日本では夫婦のまま長生きする「共白髪」を理想とはしながらも夫婦が分かれることも当然にあり得ることと考えられ[13]、また、西欧のように教会法における婚姻非解消主義の影響を受けることがなかったため、法制上における離婚の肯否そのものが議論となったことはないとされる[7]


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