集団的自衛権
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宣戦布告との関係

1907年の開戦に関する条約第一条では宣戦布告(declaration of war)は敵対行為(hostility)開始前に行っておく義務があるとされるが、第一次世界大戦後の不戦条約第二次世界大戦後の国連憲章(2条4項)などの国際法が整備され戦争が違法化されるに従い、宣戦布告の手続きがとられることはなくなっていった[13][14]。実際に、冷戦後も数多くの「戦争」が行われたがそれらのほとんどが、宣戦布告を行わない戦闘行為(武力行使)か、国家対集団あるいは国家内集団の紛争であった[15]。例えばアメリカは第二次大戦後「宣戦布告」を行ったことはなく、米国議会調査局の2007年の報告書でも国際法が発達したことに加え宣戦布告をあえて行う必要性に疑問を呈した上で[16]「おそらくは、こういった(国際法の)発展の帰結として宣戦布告は使われなくなってしまい、実際現代の紛争においてもほとんど発せられたことはない。」とされている[17]。またイギリスでも、2006年貴族院報告書で同様の趣旨が述べられている[18]
中立との関係「中立」も参照

戦争の合法的な存在を背景とした、かつての戦争の非当事国にまつわる権利義務の総体を中立法といい、20世紀初頭以降に戦争が違法化されていくにしたがって中立法の適用そのものは否定されないものの、その適用範囲を狭ばめていく傾向がみられた[19]。かつては戦争の正当原因(英語版)のもとで両交戦国に対して等しい地位が認められたが、国際連盟規約不戦条約が戦争を違法なものとして定めて以降、それまでの中立概念は変容し、一方では違法な戦争を行う国ともう一方ではそのような武力行使に対して自衛権を行使する被害国とに交戦国は明確に区別されるようになった[20]

この被害国を援助するために第三国が集団的自衛権を行使する場合、伝統的に第三国に強制された中立の地位を離脱する事態が生じる[20]。第二次世界大戦中から交戦状態に入らない第三国が一方の交戦国を公然と支援するという実行がみられるようになり、この時代から中立以外に第三国がとりうる立場として「非交戦国」という立場が論じられ始めるようになった[20]。その後国連憲章第2条4項はすべての武力による威嚇、または武力の行使を違法化したため、今日では国連による集団的措置を除いて自衛権が国家間における武力行使を法的に正当化する唯一の根拠となる[19]。この「非交戦国」が慣習国際法上確立したとする立場では、第三国は他国の武力紛争に対して適法な形で中立義務を離脱することが可能となるが、現代においてもこうした「非交戦国」という立場が確立しているか否かについては争いがある[20]

ベトナム戦争では、中立国であったカンボジアに侵攻したアメリカ合衆国は、自らの軍事行動がカンボジアによる中立国の防止義務不履行を理由に集団的自衛権の行使として正当化されると主張した[21]。ここでいう中立国の防止義務とは、中立国は交戦国の一方に軍事的に利するような形で自国領域を使用させてはならないとする義務のことであり、アメリカ侵攻当時北ベトナムベトコンに一部占領されていたカンボジアはこの中立国の防止義務を果たすことができていないとしたのである[21][22]。アメリカはカンボジアへの侵攻がカンボジア侵略勢力を排除するために時間的・範囲的に限定されたものであり、カンボジアそのものを標的としたものではなかったとして均衡性の要件(#権利の性質参照)も満たすものであったと主張した[21]。ただし多くの同盟国領域内に軍事拠点を使用し、従来よりこうした第三国領域内の軍事施設に対する攻撃を強く非難する立場をとってきたアメリカのそれまでの政策と、このカンボジア侵攻の際のアメリカの主張は対極に位置することから、アメリカのカンボジア侵攻は二重基準として批判を受けることとなった[21]
行使に当たるとされる事例

過去に集団的自衛権の行使が国連憲章第51条に従って安保理に報告された主な事例に以下のものがあるが[23]、これらが外部からの武力攻撃の発生の有無や、被攻撃国による援助要請の正当性といった集団的自衛権の要件を満たしていたのか、内戦に第三国が介入したものではなかったかという点については議論があり、その濫用が疑われる事例が少なくない[24]

ハンガリー動乱 - 1956年10月にハンガリーで発生した大規模反政府デモに対し、ソ連が「ハンガリー政府の要請に基づき、(集団的自衛権に基づく加盟国間の相互軍事援助を主な目的とする)ワルシャワ条約に従って」民衆の蜂起を鎮圧した事例。ただし要請が正当な政府からなされたものかについては疑問視されている[25]

チェコスロバキア動乱 - 1968年にチェコスロバキアで起こった自由化運動の影響拡大を恐れたソ連および東欧諸国によるワルシャワ条約機構軍が、8月に改革運動を鎮圧した事例。ソ連は軍事介入はチェコスロバキア政府の要請によるものと安保理で説明したが、チェコスロバキア政府はこれを否定した[26]


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